167.新宮城
散歩記録
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📷 散歩記録準備中1. 新宮城の概要と歴史
新宮城は和歌山県新宮市の熊野川河口に位置する標高42mの丹鶴山に築かれた平山城です。別名を丹鶴城、沖見城とも称されます。慶長6年(1601年)に紀州藩主浅野幸長の重臣・浅野忠吉が築城を開始し、翌慶長7年(1602年)に完成しました。築城にあたり丹鶴山にあった東仙寺と香林寺を移転させ、城郭を建設しました。元和5年(1619年)に浅野氏が広島へ転封となると、徳川頼宣の付家老・水野重仲(重央)が入城し、以後水野氏が10代250年間にわたって城主を務めました。
2. 城の構造と規模
新宮城は寛文7年(1667年)に水野重上により完成し、東西180間(約324m)、南北110間(約198m)、周囲540間(約972m)の規模を誇りました。城郭は天守台と本丸、出丸、鐘ノ丸、松ノ丸が配置され、西側山麓には二ノ丸(上屋敷)や下屋敷が築かれました。北側は熊野川に面し、南側には東西75間、南北45間、深さ1間半の堀が造られていました。正保城絵図には熊野川に突き出た縄張りが描かれ、上下連郭式の構造を持つ堅固な水運の要衝として機能していました。
3. 歴代城主と城の変遷
築城者浅野忠吉は元和4年(1619年)まで在城しましたが、浅野氏の広島転封に伴い退去しました。代わって入城した水野重仲は紀州徳川家の筆頭家老として重要な役割を果たし、幕末期の水野忠央は14代将軍徳川家茂擁立に活躍しました。明治2年(1869年)に水野忠幹の版籍奉還後、新宮城下屋敷に新宮藩庁が置かれましたが、明治6年(1873年)の廃城令により天守など全建物が取り壊されました。旧材は寺院などに転用され、現在に至っています。
4. 現在の状況と見学情報
新宮城跡は丹鶴城公園として整備され、「和歌山県朝日夕陽百選」に選定されています。JR新宮駅から徒歩10分とアクセス良好で、石垣の博物館とも呼べるほど様々な築城技法の石垣を観察できます。本丸からは熊野川と熊野大橋の眺望が開け、かつて旅館時代に運行されていた日本最短72mのケーブルカー跡も見ることができます。現在新宮市では天守・大手門・櫓の木造復元を目指し、古写真の収集に懸賞金1700万円をかけて取り組んでいます。
5. 続100名城スタンプと御城印
続日本100名城スタンプは新宮市立歴史民俗資料館に設置されています。同館は阿須賀神社境内にあり、新宮市の歴史を学べる施設として親しまれています。スタンプは2階展示室にあり、入館料220円が必要です。御城印は新宮市観光協会と新宮市立歴史民俗資料館で300円で販売されています。水野家と浅野家の家紋が入った手押しスタンプ仕様で、2019年は水野家入部400年記念の限定ロゴ入りで販売されました。クマノザクラをイメージした熊野和紙使用の限定版も人気を集めています。
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