199.座喜味城
続100名城基本情報
住所 | 沖縄県中頭郡読谷村字座喜味708番地6 |
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電話 | 098-958-3141(ユンタンザミュージアム) |
築城年 | 1420年代(15世紀初頭) |
営業情報
開館時間 | ユンタンザミュージアム:9:00-18:00(入館17:30まで) |
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入場料 | ユンタンザミュージアム:村内高校生以上200円・65歳以上160円、村外高校生以上500円・65歳以上400円 |
休館日 | 水曜日、年末年始(12月28日-1月4日) |
1. 座喜味城の築城と護佐丸
座喜味城は15世紀初頭の1420年代に、築城家として名高い読谷山按司護佐丸により築かれました。護佐丸は当初、座喜味の北東約4キロメートルにある山田グスクに居城していましたが、1416年(1422年説もあり)に中山尚巴志の北山城(今帰仁城)攻略に参戦した直後、地理的な利点を考慮して座喜味へ築城しました。山田城を取り壊してその石材を運ばせて築いたと伝えられており、琉球王国統一後の国の安定に尽力した名将として知られています。城は国王に対抗する勢力を監視する目的で築かれ、軍事的要塞として機能していました。
2. 城郭構造と築城技術
座喜味城は標高127メートル(一説に125メートル)の丘の上に築かれ、主郭と二の郭から構成されています。城郭の外周は365メートル、総面積は7,385平方メートルで、沖縄の城としては中規模の規模を持ちます。城壁は琉球石灰岩による相方(あいかた)積みを基調とし、アーチ門とその両脇は整然とした布積みで築かれています。座喜味城の特徴は、なだらかで優雅な曲線を描く城壁で、これは美的な理由だけでなく、粘土質の赤土という弱い地質を補強し、崩れにくい構造にするための工夫でもありました。城壁の正面は波打つように大きくせり出しており、攻撃者を多方向から攻撃できる軍事的配慮が施されています。
3. アーチ門の築城技術
座喜味城の最大の見どころは、沖縄に現存する最も古い石造りの二の郭のアーチ門です。このアーチ門は門の強度を高めるために中央部にクサビ石が打ち込まれており、他の城では見られない護佐丸独自の築城技術の高さを示しています。護佐丸は立面アーチ構造の力学的原理を理解しており、荷重を圧縮力で支える仕組みを活用して、直線的な城壁よりもはるかに強固な構造を実現しました。また、城内には敵を誘導する通路があり、行き止まりになる「武者隠し」や「だましの廓」といった巧妙な防御装置が設けられており、護佐丸の軍事的才能を示しています。
4. 戦争被害と復旧
座喜味城は第二次世界大戦で甚大な被害を受けました。1944年8月に日本軍が高射砲陣地を構築し、同年10月の十・十空襲で壊滅的な打撃を受けました。戦後は米軍基地ボーローポイント内のナイキミサイル通信基地となり、1974年まで使用されていました。1956年に琉球政府の重要文化財に指定され、1972年の本土復帰と同時に国指定史跡となりました。1973年から1985年にかけて文化庁・沖縄県の補助を受けて発掘調査や城壁修理が進められ、通信基地に駐屯していた退役軍人も驚嘆するほどの美しいグスクとして復旧されました。
5. 世界遺産登録と学術的評価
座喜味城跡は2000年12月2日に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として世界遺産に登録され、平成29年(2017年)4月6日には続日本100名城の199番に選定されました。学術的には琉球王国の城郭建築技術の到達点を示す重要な遺跡として評価されており、特に護佐丸の革新的な築城技術と、アーチ構造を活用した石積み技法は、中世から近世への琉球建築史の発展を理解する上で貴重な資料となっています。現在も継続的な調査研究が行われており、出土品から16世紀のものも発見されることから、護佐丸の移封後もしばらく利用されていたと推定されています。隣接するユンタンザミュージアムでは座喜味城の歴史と文化を詳しく学ぶことができます。
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