151.吉田城
続100名城基本情報
住所 | 愛知県豊橋市今橋町3番地(豊橋公園内) |
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電話 | 0532-51-2430(豊橋市観光プロモーション課) |
築城年 | 1505年(永正2年) |
営業情報
開館時間 | 吉田城鉄櫓:10:00~15:00 豊橋市役所東館13階:8:00~22:00 |
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入場料 | 鉄櫓見学無料 |
休館日 | 鉄櫓:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始 市役所:年末年始 |
1. 基本情報と地理的位置
吉田城は愛知県豊橋市今橋町にある続日本100名城151番の平城です。現在の豊橋公園内に位置し、豊川に面した要害の地に築かれています。永正2年(1505年)に今川氏親の命により、宝飯郡の長山一色城主・牧野古白が渥美郡馬見塚村の入道ヶ淵に臨む岡に築城したとされます。築城当初は今橋城と呼ばれ、後に吉田城と改称されました。
2. 戦国時代の争奪戦と徳川氏の支配
戦国時代には今川、武田、松平(徳川)による激しい争奪戦の舞台となりました。永禄7年(1564年)に徳川家康が今川方の城代小原鎮実を攻めて攻略し、信任の厚い重臣・酒井忠次を城代に任命します。家康は吉田城を中心として戸田氏や牧野氏、西郷氏などの東三河4郡の諸豪族を統率させ、三河支配の重要拠点として機能させました。
3. 池田輝政による大改築と城郭整備
天正18年(1590年)に家康の関東移封に伴い、池田輝政が東三河4郡を統べる15万2千石の城主となりました。輝政は吉田城および城下町の大改築を行い、現存する石垣の多くはこの時期に築かれたものです。特に鉄櫓下の石垣は当時最新の技術で積まれ、チャートを用いた野面積みが特徴的です。11年間の整備期間を経て、近世城郭としての基盤が固められました。
4. 江戸時代の吉田藩と出世城としての地位
江戸時代には三河吉田藩の藩庁として、東海道の重要な防衛拠点の役割を果たしました。幕府の老中や大坂城代など有能な譜代大名が城主として選ばれたため、「出世城」とも呼ばれています。竹谷松平家や深溝松平家をはじめ、水野氏や小笠原氏といった譜代大名が交代で入城し、寛延2年(1749年)以降は松平(大河内)氏が代々領しました。
5. 現在の史跡整備と見どころ
現在は豊橋公園として整備され、昭和29年(1954年)に復元された鉄櫓が豊川のほとりに建っています。2016年にリニューアルされた鉄櫓内部では吉田城の歴史を学ぶことができ、石垣には名古屋城築城時の残石を転用した石垣刻印が60個近く確認されています。2022年には本丸・二の丸・三の丸跡など約73,370平方メートルが豊橋市指定史跡に指定されました。
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