106.脇本城
続100名城基本情報
住所 | 秋田県男鹿市脇本脇本字七沢外 |
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電話 | 0185-24-9103(男鹿市文化スポーツ課) |
築城年 | 元弘4年(1334年)頃 |
営業情報
開館時間 | 24時間開放(案内所) |
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入場料 | 無料 |
休館日 | なし(ただし夜間は照明なし) |
1. 脇本城の概要と歴史的地位
脇本城(わきもとじょう)は、秋田県男鹿市脇本脇本にあった元弘4年(1334年)頃築城の中世山城で、日本海に突き出た生鼻崎丘陵上に築かれました。別名を生鼻城・太平城とも呼び、安東氏一族の居城として機能した東北最大級の城郭です。総面積約150ヘクタール(1,500,000平方メートル)という広大な城域を持ち、檜山城・湊城とともに「安東三城」の一つとして知られ、2004年(平成16年)に国史跡に指定され、2017年には続日本100名城(106番)に選定されました。
2. 築城の背景と安東氏の発展
脇本城の明確な築城時期は不明ですが、元弘4年(1334年)頃に鎌倉北条氏派の武士が築いたとされ、康正2年(1456年)に安東政季が小鹿嶋(現在の男鹿)に入り、この城を拠点としたと推測されています。安東氏は津軽海峡を挟んだ蝦夷地(北海道)にも勢力を伸ばし、日本海交易で富を蓄えた海の豪族として知られました。特に15世紀から16世紀にかけて、檜山安東氏と湊安東氏に分かれて対立していた時期があり、脇本城もこの時代背景の中で重要な拠点として機能していました。
3. 安東愛季による大規模改修
天正5年(1577年)、檜山安東氏と湊安東氏を統一した安東愛季が、名目的に嫡子の安東業季に家督を譲り、脇本城を隠居城とするべく大規模な改修を行いました。この改修により、脇本城は戦国時代末期の本格的な山城として完成され、多数の曲輪・土塁・空堀・井戸跡・虎口などの遺構が整備されました。愛季による改修は、豊臣秀吉の奥州仕置に備える軍事的な意味合いも強く、安東氏の全盛期を象徴する大事業でした。
4. 城郭構造と地域区分
脇本城は丘陵全体に及ぶ広大な城域を持ち、地形や遺構の特徴から大きく5つの地区に分けられます。比較的小規模な曲輪が並列的に群をなす「内館地区」、単郭の大規模な曲輪を中心とする「馬乗り場地区」、小さな尾根の頂上部に小規模な曲輪が位置する「兜ヶ崎・打ケ崎地区」、中央部を田谷沢道が横断する「乍木地区」、丘陵下に位置する「お念堂地区」に分かれ、それぞれが異なる機能を持っていました。また、短冊形の地割やカギ型に曲がる道が残る城下町も確認されています。
5. 現在の保存状況と活用
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による奥州仕置から慶長7年(1602年)の佐竹氏による久保田城築城の間に廃城になったと考えられますが、その後大規模な開発が行われなかったため、当時の城郭構造が良好に保存されています。現在は史跡公園として整備され、国道101号線沿いの登城口から徒歩5分の場所に脇本城跡案内所が設置されています。案内所は24時間開放されており、続日本100名城スタンプが設置されています。地域住民による継続的な環境整備により、中世の山城の姿を現在に伝える貴重な文化遺産として保護されています。
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