152.津城
続100名城基本情報
住所 | 三重県津市丸之内本丸 |
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電話 | 059-246-9020(津駅前観光案内所) |
築城年 | 1580年(天正8年) |
営業情報
開館時間 | 城跡見学自由 津駅前観光案内所:10:00~18:00 |
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入場料 | 城跡見学無料 |
休館日 | 城跡見学自由 津駅前観光案内所:月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 |
1. 基本情報と地理的位置
津城は三重県津市丸之内にある続日本100名城152番の平城です。現在の津市街の中心部に位置し、北は安濃川、南は岩田川に挟まれた立地で、これらの河川を天然の大外堀として活用していました。津城の別名は安濃津城(あのつじょう)で、平安時代より伊勢国政治経済の中心地であった安濃津の地に築かれています。
2. 織田信包による築城と初期の発展
津城の起源は永禄年間(1558年-1569年)に長野氏の一族の細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を構えたことに始まります。永禄11年(1568年)の織田信長の伊勢侵攻により織田信包が入城し、天正8年(1580年)に城郭を拡充して本格的な津城を創築しました。信包は石垣を普請し堀を巡らせ、本丸・二の丸・三の丸を整備し、天正5年(1577年)には5重天守と小天守を落成させました。
3. 藤堂高虎による大改修と近世城郭化
慶長13年(1608年)に徳川家康の命により、築城の名手・藤堂高虎が伊予国今治から城主として入府しました。高虎は慶長16年(1611年)から津城の大修築を行い、北側の石塁を高く積み直し、東北と西北の両隅に三重櫓を建設しました。この改修により津城は中央に内堀で囲まれた本丸と東丸・西丸、それらを取り囲む二の丸が配された輪郭式の近世城郭として完成しました。
4. 津藩の藩庁と城下町の発展
高虎は城の周囲に武家屋敷を造る一方で、伊予から連れてきた町人たちを岩田川の南に住まわせて伊予町を形成しました。さらに参宮街道を城下に引き入れ、城の東に堀川を切り開くなど津の基礎づくりを行いました。2代藩主高次がこれをもとに城下を整備し、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えました。江戸時代を通じて藤堂氏の居城として機能し続けました。
5. 現在の史跡整備と見どころ
明治維新後に建物はすべて取り壊され、堀も大半が埋め立てられましたが、現在は本丸・西之丸の石垣と内堀の一部が残存しています。城跡は「お城公園、お城西公園」として整備され、復元された隅櫓や藤堂高虎の騎馬像が設置されています。城跡内には高山神社が建立され、藤堂高虎を御祭神として祀っています。平成17年(2005年)3月に三重県指定史跡に指定されました。