136.鳥越城
続100名城基本情報
住所 | 〒920-2368 石川県白山市三坂町 |
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電話 | 076-274-9573(白山市文化課) |
築城年 | 1573年(天正元年)頃 |
営業情報
開館時間 | 自由 |
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入場料 | 無休 |
休館日 | 無料 |
1. 鳥越城の歴史と築城の経緯
鳥越城は天正初年(1573年)頃、織田信長による加賀一向一揆討滅の脅威が高まる中で、白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守を城主として、門徒集団である山内衆の抵抗の拠点として築城されました。手取川と大日川の合流点に位置する丘陵先端部を利用して築かれた山城で、標高は主郭部で312mあり、面積は東西400m、南北1,200mにおよぶ大規模な城郭でした。本丸・二の丸・三の丸・後二の丸・後三の丸など七か所の主要な郭で構成され、空堀や土塁を挟んで尾根筋を巧みに利用して配置されていました。
2. 加賀一向一揆最後の拠点としての役割
鳥越城は加賀一向一揆において最も重要な拠点として機能し、白山麓本願寺門徒の抵抗の象徴でした。石山本願寺における織田信長との戦闘の高揚に伴い築城・整備され、城主鈴木出羽守に指導された白山麓本願寺門徒は、南加賀一向一揆において最後まで頑強に抵抗を続けました。一向一揆勢力が加賀国各地から駆逐される中で、鳥越城は門徒たちの最後の砦として約8年間にわたって織田勢力に立ち向かい、「百姓の持ちたる国」を守り抜く最前線基地の役割を担いました。
3. 鳥越城の落城と一向一揆の終焉
天正8年(1580年)、織田信長配下の柴田勝家による総攻撃により鳥越城は遂に落城し、約100年にわたって続いた加賀一向一揆の歴史は終焉を迎えました。落城後も2年間にわたって攻防が繰り広げられ、天正10年3月に完全に掃討されるまで激しい抵抗が続きました。この戦いで300余人の門徒が手取川で磔に処され、その後数年間は白山麓の村々から人の気配が消えるほどの徹底的な残党狩りが行われました。鳥越城からは山城として全国で最多クラスの100を超える鉄砲弾が出土しており、激戦の壮絶さを物語っています。
4. 現在の史跡整備と復元建造物
昭和52年より実施された発掘調査の成果により、昭和60年9月3日に二曲城とともに国史跡に指定された鳥越城跡は、平成2年から史跡整備が実施されました。平成9年から12年にかけて史跡等活用事業(ふるさと歴史の広場)が実施され、掘立柱建物跡、礎石建物跡、本丸門、桝形門、中の丸門、土塁、空掘、柵列等が復元整備されました。特に外桝形虎口の石垣と桝形門、本丸門の復元は鳥越城跡のシンボルとなっており、当時の城郭構造を現代に伝える貴重な資料となっています。
5. 続日本100名城としての価値
鳥越城は平成29年(2017年)に続日本100名城の136番に選定され、麓の鳥越一向一揆歴史館にスタンプが設置されています。歴史館では発掘調査による出土品や史跡の歴史的経緯をDVDで紹介しており、道の駅一向一揆の里では御城印も300円で販売されています。城址からの眺望は素晴らしく、付近一帯が一望でき、なぜここに重要な砦が築かれたのかを地形から理解することができます。毎年8月には「一向一揆まつり」が開催され、激しく戦った先人たちの遺徳を偲ぶとともに、「百姓の持ちたる国」の理想を現代に伝える重要な文化遺産として親しまれています。
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