123.滝山城
続100名城基本情報
住所 | 東京都八王子市丹木町 |
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電話 | 042-620-7378(八王子市文化財課) |
築城年 | 大永元年(1521年)・永禄年間(1558~1570年)改修 |
営業情報
開館時間 | 随時見学可能(城跡公園) |
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入場料 | 無料 |
休館日 | なし |
1. 滝山城の築城と大石氏
滝山城は東京都八王子市丹木町にあった戦国時代の山城で、多摩川と秋川の合流点にある加住丘陵の複雑な地形を巧みに利用した天然の要塞として築かれました。大永元年(1521年)に木曽義仲の末裔である大石定重によって築城されたとされますが、築城年については諸説があります。大石氏は武蔵国の有力国人領主として、この地域を支配していました。当初は大石氏の居城として機能し、関東管領上杉氏に属していました。
2. 北条氏照の居城となる
永禄年間(1558~1570年)に後北条氏の勢力拡大に伴い、北条氏康の三男・北条氏照が大石定重の養子となって滝山城の城主となりました。氏照は城郭を大幅に改修・拡張し、関東随一の規模を誇る山城として整備しました。滝山城は後北条氏の西関東支配の拠点として重要な役割を果たし、氏照は約30年間にわたってこの城を居城としました。城は本丸・中の丸・千畳敷などの曲輪群と、複雑な堀切・竪堀・虎口システムで構成される堅固な要塞でした。
3. 武田信玄の攻撃と防御戦
永禄12年(1569年)10月、小田原攻撃に向かう武田信玄軍約2万人が滝山城を攻撃しました。武田軍は滝山城北側の拝島に本陣を敷き、小山田信茂隊1千が小仏峠から進入するという予想外の攻撃を仕掛けました。北条氏照は2千の寡兵で応戦し、滝山城三の丸まで攻め込まれ落城寸前まで追い込まれましたが、なんとか持ちこたえました。しかし、この戦いで滝山城の防御体制の不十分さが露呈し、より堅固な八王子城を築城して移転するきっかけとなったといわれています。
4. 城郭構造と遺構の特徴
滝山城は連郭式山城として築かれ、現在も本丸・中の丸・空堀・竪堀・虎口・曲輪・土橋・土塁などの遺構が良好に残されています。特に引橋(土橋)と呼ばれる構造や、複雑な虎口システムは戦国期築城技術の粋を示しています。城域は東西約3キロメートル、南北約2キロメートルに及ぶ巨大な規模で、各曲輪は自然の地形を巧みに活用して配置されています。現在はAR技術を活用したアプリ「AR滝山城跡」により、約450年前の城の姿を体験することができます。
5. 現在の保存状況と見学
滝山城跡は昭和26年(1951年)に国の史跡に指定され、大部分が東京都立公園「滝山自然公園」として整備されています。春には桜の名所としても知られており、多くの観光客が訪れます。続日本100名城のスタンプは城跡内の中の丸広場、八王子市加住市民センター、道の駅八王子滝山の3か所に設置されています。JR八王子駅から西東京バスで「滝山城址下」下車徒歩約15分でアクセス可能で、滝山観光駐車場も整備されています。NPO法人滝山城跡群・自然と歴史を守る会による定期的なガイドツアーも実施されています。
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スタンプ情報

八王子市加住市民センター
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