153.多気北畠氏城館
続100名城基本情報
住所 | 三重県津市美杉町上多気1148 |
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電話 | 059-275-0615(北畠神社) |
築城年 | 興国3年(1342年) |
営業情報
開館時間 | 8:30〜17:00(北畠神社社務所) |
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入場料 | 無料(庭園拝観は300円) |
休館日 | 無休 |
1. 歴史的背景
多気北畠氏城館は興国3年(1342年)に伊勢国司・北畠顕能が築いた居館と詰城を中心とする城郭群で、標高560mの霧山城と麓の多気御所(北畠氏館)で構成されています。北畠氏は南北朝時代に活躍した公家大名で、伊勢国司として8代にわたり多気を本拠とし、顕能から具教まで240年間にわたって機能しました。
2. 築城技術と遺構
発掘調査により日本最古の石垣や多くの建物跡が確認され、中国産の陶磁器や日本各地から運ばれた陶器、武具、仏具なども出土しています。現在は国の史跡に指定されており、史跡指定地の総面積は268,906.91m²に及びます。
3. 戦略的立地
多気は伊勢国と大和国を結ぶ伊勢本街道沿いにある交通の要所であると同時に、7つの経路のどれをとっても峠越えとなる天然の要害でした。城下には3,500戸ほどが建ち並び、700人から1,000人の家臣が暮らしていました。
4. 文化的価値
現在跡地には北畠神社が建立されており、国の名勝に指定されている庭園は三大武将庭園、日本名園五十撰に数えられています。管領細川高国作庭と伝わる庭園は室町庭園の傑作として高く評価されています。
5. 滅亡の経緯
天正4年(1576年)、養子に迎えた織田信長の次男・信雄に北畠具教が暗殺された際に落城し、そのまま廃城となりました。これにより南北朝以来続いた北畠氏の支配は終焉を迎えました。