7.多賀城
日本100名城基本情報
| 住所 | 宮城県多賀城市市川字城前 |
|---|---|
| 電話 | 022-368-5309(多賀城跡管理事務所) |
| 築城年 | 724年 |
営業情報
| 開館時間 | 常時開放(史跡) |
|---|---|
| 入場料 | 無料 |
| 休館日 | なし(史跡) |
歴史と概要
神亀元年(724年)に大野東人によって創建された多賀城は、奈良・平安時代に陸奥国府と鎮守府が置かれた古代城柵です。11世紀中頃まで約340年間にわたって東北地方の政治・軍事・文化の中心地として機能し、西の大宰府と対をなす東北の重要拠点でした。
築城の背景
奈良時代、大和朝廷が蝦夷支配を進めるため、松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に軍事拠点として設置されました。創建以前は仙台郡山遺跡が陸奥国府でしたが、神亀元年(724年)に多賀城に移転し、北方の備えとして石巻平野から大崎平野にかけて天平五柵も設置されました。
遺構と重要文化財
現在は建物は残っていませんが、約900メートル四方の広大な敷地に政庁跡をはじめとする重要な遺構が保存されています。多賀城碑(壺碑)は国の重要文化財に指定され、那須国造碑・多胡碑とともに日本三大古碑の一つとされています。
政庁の特徴
城内中央の政庁は東西103メートル、南北116メートルの規模で築地塀に囲まれ、内部に正殿・脇殿・後殿・楼などが計画的に配置されていました。重要な政務や儀式、宴会などが行われる多賀城の心臓部でした。
発掘調査で判明した変遷
発掘調査により政庁には4時期の変遷があったことが判明しています。第Ⅰ期(724年創建)、第Ⅱ期(762年藤原朝狩による大改修)、第Ⅲ期(780年伊治公呰麻呂の乱からの復旧)、第Ⅳ期(869年陸奥国大地震からの復興)の各時代の建物配置や構造の変化が確認されています。
城郭の構造と特徴
一辺約1キロメートルの不整形四角形を築地塀で囲み、南・東・西に門が開かれていました。城内には政庁のほか、実務を行う役所や工房、兵士の宿舎などが配置され、附属寺院として多賀城廃寺も築かれていました。
多賀城南門の復元
多賀城創建1300年を記念して、2024年に多賀城南門が復元されました。高さ14.5メートルの二重門形式で、8世紀中頃の壮麗な正面入口が現代に蘇りました。
文学史上の意義
多賀城碑は松尾芭蕉が「おくのほそ道」で訪れた壺碑として有名で、古来より歌枕の地として多くの文人に愛され続けています。大伴家持、西行、芭蕉など著名な歌人・俳人が足跡を残しています。
日本三大史跡としての価値
国の特別史跡に指定され、平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。日本100名城(7番)にも選定され、古代日本の政治・文化史を物語る貴重な遺跡として保護されています。
アクセス・見学情報
JR東北本線国府多賀城駅から徒歩約20分。多賀城跡ガイダンス施設で詳しい解説を受けることができ、史跡内は常時自由見学が可能です。東北歴史博物館と合わせて見学すると多賀城の歴史をより深く理解できます。
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