101.志苔館
続100名城基本情報
住所 | 北海道函館市志海苔町・赤坂町 |
---|---|
電話 | 0138-21-3472(函館市教育委員会文化財課) |
築城年 | 14世紀後半 |
営業情報
開館時間 | 24時間 |
---|---|
入場料 | 無料 |
休館日 | なし |
1. 志苔館の概要と歴史的意義
志苔館(しのりたて)は、北海道函館市にあった14世紀後半の中世城館で、小林氏によって築かれたとされる道南十二館の一つです。道南十二館とは、蝦夷地(現在の北海道)渡島半島に築かれた12の和人(アイヌ以外の日本人)の館を指し、志苔館はその中で最も東端に位置していました。松前藩の史書『新羅之記録』に記録されており、アイヌと和人との抗争の舞台として重要な歴史的意義を持っています。現在は国の史跡に指定され、2017年に続日本100名城(101番)に選定されました。
2. コシャマインの戦いと館の陥落
志苔館は1457年(長禄元年)と1512年(永正9年)の2度にわたってアイヌとの戦いで陥落した歴史を持ちます。最初の陥落は「コシャマインの戦い」として知られる大規模なアイヌの蜂起によるものでした。この戦いは、アイヌの少年が和人の鍛冶屋とのトラブルで殺害されたことが発端となり、アイヌ首長コシャマインが率いる軍勢によって志苔館が攻め落とされました。その後、館主の小林太郎左衛門尉良景の子である彌太郎良定が再び館を築きましたが、1512年に再度アイヌの攻撃を受けて陥落し、良定は討死したとされています。
3. 館の構造と発掘調査の成果
志苔館は海に面した丘陵上の要害に築かれ、自然地形を巧みに利用した防御構造を持っていました。1983年から1985年にかけて函館市教育委員会による発掘調査が実施され、土塁で囲まれた単郭の縄張りが明らかになりました。西側には二重の堀切が配置され、薬研堀や箱薬研堀の技法が用いられていました。郭内では建物跡、井戸跡、柵跡、柱穴跡などの遺構が発見され、中国製の舶載陶磁器や国産陶器を主とする生活用具類も出土しており、当時の生活様式を知る貴重な資料となっています。
4. 国内最大級の古銭出土と重要文化財指定
1968年7月、志苔館跡の南西方向約100メートル地点で、道路拡幅工事中に大量の古銭が発見されました。越前焼と珠洲焼の大甕3個の中から、総数93種類、38万7,514枚におよぶ中国の銅銭が出土し、総重量は約1.6トンに達しました。出土銭の年代は前漢代の四銖半両(紀元前175年初鋳)から明代初期の洪武通宝(1368年初鋳)まで約1,500年にわたり、これは日本国内で1か所から発見された古銭としては最大級の量です。この出土銭は「北海道志海苔中世遺構出土銭」として2003年に国の重要文化財に指定され、現在は市立函館博物館で常設展示されています。
5. 現在の保存状況と史跡整備
志苔館跡は1934年に国の史跡に指定され、1977年には指定範囲が拡大されました。発掘調査後の1987年までに史跡公園として整備が行われ、郭内の建物跡、井戸跡、柵跡、柱穴跡などが平面表示され、郭外の空壕や小土塁についても表示・張芝等の整備が施されました。現在は函館空港に隣接する立地にあり、土塁や二重堀切などの遺構を良好な状態で見学することができます。史跡内の東屋には続日本100名城スタンプが設置されており、24時間いつでも押印可能となっています。館跡からは函館山や市街地を一望でき、当時の戦略的要地としての重要性を実感することができます。
アクセスマップ
関連リンク
散歩記録

御城印情報

スタンプ情報
