133.鮫ヶ尾城
続100名城基本情報
住所 | 〒944-0045 新潟県妙高市大字宮内ほか |
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電話 | 0255-74-0035(妙高市教育委員会生涯学習課文化振興課) |
築城年 | 不明(16世紀前期推定) |
営業情報
開館時間 | 【斐太歴史の里】4-9月:9:00-17:00、10月:9:00-16:00、11月:9:00-15:00 【城跡】24時間 |
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入場料 | 無料 |
休館日 | 【斐太歴史の里】冬季(11月下旬-4月中旬) 【城跡】冬季は積雪のため危険 |
1. 鮫ケ尾城の概要
鮫ケ尾城は、新潟県妙高市にあった日本の城で、城跡は2008年7月28日に国の史跡に指定されました。2017年4月6日には「続日本100名城」(133番)に選定されています。築城年は分かっていませんが、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わります。標高190mの城山に築かれた山城で、山城の北側と西側には深い沢、南側には河川が存在し、天然の要害と呼ぶにふさわしい地勢となっています。
2. 鮫ケ尾城の歴史
鮫ケ尾城は上杉謙信の急死後の後継者争いである「御館の乱」の際の決戦の舞台として歴史に名を残しています。1578年に上杉謙信が急死すると、謙信には実子がいなかったため、ともに謙信の養子であった上杉景勝と上杉景虎によって跡目相続争いが起こりました。1579年の御館の乱の際には堀江宗親が城主であったと上杉景勝書状に記録が残っています。上杉景虎は上杉景勝の攻撃により御館が陥落し、実兄である北条氏政を頼って小田原城へ落ち延びるために堀江宗親の鮫ケ尾城に到着しますが、堀江宗親の謀反により上杉景虎は城内で自刃しました。
3. 鮫ケ尾城の構造と特徴
鮫ケ尾城は標高190mの城山に築かれており、山頂の主郭から東、南東、北西の尾根筋に郭を展開する連郭式の構造となっています。主郭の北西は米蔵と呼ばれる郭、西の丸と連なりそれぞれが大規模な堀切で区切られ横堀も配置されています。主郭から南下に二の丸、三の丸があり井戸や見事な桝形も確認できます。主郭から東尾根が大手とされ尾根筋に堀切で区切られた郭が連なっています。現在も米蔵跡からは「御館の乱」時に焼けた米『焼き米』が出土し、文化財指定されているため持ち出しは禁止されています。
4. 鮫ケ尾城の見どころ
現在、城址には登山道が整備されており、尾根づたいに曲輪を確認することができます。斐太歴史の里では鮫ケ尾城の出土品が展示されており、御館の乱の歴史について詳しく学ぶことができます。続日本100名城だけあり駐車場、トイレ完備で登城路も整備されており、管理棟から主郭まで約20分程度で登城できます。登山道は「南登山道(正面口)」「東登山道」「北登山道」の3通りがあり、斐太歴史の里や駐車場があるのは北登山道で、最もオーソドックスなルートです。続日本100名城のスタンプは斐太歴史の里総合案内所(冬季は神の宮温泉かわら亭)に設置されており、御城印も斐太歴史の里総合案内所で購入できます。
5. アクセス情報
えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン「北新井駅」より徒歩約30分でアクセスできます。駐車場も完備されており、車でのアクセスも良好です。斐太歴史の里の開館時間は4月~9月が9:00~17:00、10月が9:00~16:00、11月が9:00~15:00となっており、冬季(例年11月下旬頃~4月中旬頃まで)は休館となります。冬季休館中は続日本100名城スタンプが「神の宮温泉かわら亭」フロントに移設されます。また、冬季は降雪対策により鮫ケ尾城登城道の誘導看板や案内表示などが撤去されるため、登城は控える必要があります。