116.沼田城
続100名城基本情報
住所 | 群馬県沼田市西倉内町594 |
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電話 | 0278-25-8555(沼田市観光案内所) |
築城年 | 天文元年(1532年) |
営業情報
開館時間 | 24時間(観光案内所:夏季9:00~17:00・冬季9:00~16:00) |
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入場料 | 無料 |
休館日 | なし(観光案内所:年末年始) |
1. 沼田城の歴史
沼田城は、天文元年(1532年)に鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏の12代万鬼斎顕泰によって築かれた。当時は倉内城と称し、沼田市街地発祥の要で、当市の歴史の起点である。関東へ至る要衝の地にあることから越後の上杉氏や小田原の北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名によりめまぐるしい争奪が繰りひろげられることになった。天正8年(1580年)、武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸は沼田城を攻略し、さらに翌9年には沼田城の奪還に来攻した沼田平八郎景義を謀殺して沼田氏を滅亡させた。天正18年(1590年)に昌幸の嫡子信幸が沼田領2万7千石の城主となり、慶長年間に五層の天守閣を建造した。
2. 沼田城の構造と特徴
群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台上に位置する丘城である。二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城でもある。沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として諸勢力の争奪戦の的となった。当時の関東の城としては最大規模であった5重5階の天守が築かれ、幾つかの守護城に囲まれた堅城であった。真田氏によって築かれた西櫓台の石垣が現在も残されており、沼田城跡に残る貴重な遺構となっている。
3. 現在の沼田城
現在は沼田公園として整備されており、西櫓台と石垣、さらに本丸堀の一部がわずかに残っている。本丸跡には鐘楼が建設され、信幸の長男、真田信吉が鋳造させた城鐘が釣下げられている。櫓台の上には樹齢400年ともいわれる御殿桜が立ち、春には園内の200本を超える桜とともに咲き乱れる。沼田公園のシンボルとなっている御殿桜は、真田氏の時代より沼田城の移り変わりを見守ってきた。天和元年(1681年)に真田氏5代城主伊賀守が徳川幕府に領地を没収され、翌2年1月に沼田城は幕府の命により破却された。
4. 沼田城の文化的意義
沼田城は戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点として機能した。関ヶ原の戦いを前に、真田昌幸・幸村父子が沼田城に立ち寄ったところ、留守を任されていた小松姫(信幸の妻)は不審に思い城に入れなかった逸話でも知られる。小松姫は徳川四天王・本多忠勝の娘であり、家康の養女として信幸に嫁いだ。この城は真田氏約100年の治世において、北関東における政治・軍事の中心地として重要な役割を果たした。
5. 沼田城の見どころ
本丸跡には再建された鐘楼や、平八石(沼田平八郎首石)、天狗堂なども見られる。かつて五層の天守閣が築かれていたという場所には、戦没者を祀る利根英霊殿が建立されている。沼田市歴史資料館には沼田城やその城主(沼田氏、真田氏、土岐氏)の資料が展示されている。沼田市観光案内所では真田ゆかりの三名城オリジナル御城印帳も販売されており、沼田城、岩櫃城、名胡桃城で共通使用できる。また、城跡は日本の歴史公園100選にも選ばれている。
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