48.松坂城
日本100名城基本情報
住所 | 三重県松阪市殿町1538-1(松阪市立歴史民俗資料館) |
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電話 | 0598-23-2381(松阪市立歴史民俗資料館) |
築城年 | 1588年(天正16年) |
営業情報
開館時間 | 城跡は24時間見学自由(歴史民俗資料館は9:00~16:30) |
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入場料 | 城跡散策無料(歴史民俗資料館は一般150円、6歳~18歳80円) |
休館日 | 城跡は年中無休(歴史民俗資料館は月曜日、年末年始) |
1. 松坂城の基本情報
松坂城は三重県松阪市に位置する平山城で、1588年(天正16年)に蒲生氏郷によって築城されました。梯郭式平山城として設計され、現在は松阪公園として整備されています。城の建築物は明治時代に失われましたが、穴太衆によって築かれた豪壮な石垣が残り、2011年に国の史跡に指定され、日本100名城(48番)にも選定されています。
2. 蒲生氏郷と築城の背景
蒲生氏郷は近江国日野城から伊勢国12万3千石に封じられ、当初は松ヶ島城に入城しましたが、より内陸の要害の地である四五百森(宵の森)に新城の建設を決定しました。氏郷は安土城築城にも参加した経験を活かし、穴太衆と呼ばれる近江の石工集団を招いて、当時最新の石垣技術を用いた総石垣造りの城を築きました。
3. 優れた石垣技術
松坂城の石垣は「野面積み」「打込みハギ」「算木積み」など複数の工法が使い分けられています。築城当初の天守台周辺は自然石をそのまま積み上げる野面積みで、水はけが良く堅固な構造となっています。江戸時代の修復時には表面を加工した打込みハギが用いられ、隅部には長方形の石材を長短交互に積む算木積みが採用されています。
4. 城郭の構造と縄張り
松坂城は北を流れる阪内川を天然の堀とし、丘陵を切り通して北丘と南丘に分断された構造となっています。本丸を中心に東側に二ノ丸、西側にきたい丸、南側に隠居丸を配置し、渦巻き状に曲輪を巡らせた渦郭式の縄張りが特徴です。大手口や搦手口には桝形構造を多用し、特に搦手口では天守に至るまでに四度の桝形が続く堅固な防御構造となっています。
5. 歴代城主と城の変遷
松坂城は蒲生氏郷、服部一忠、古田重勝と続き、古田氏の時代に城郭が完成したとされています。1619年に古田氏が石見国浜田城に転封となった後は紀州藩の藩領となり、城代が置かれました。1644年に天守が台風で倒壊し、以後は天守台のみが残りました。1794年には二の丸に紀州藩陣屋が建てられ、明治維新まで紀州藩の支配下にありました。
6. 現在の遺構と見どころ
現在の松坂城跡では、本丸上段の天守台、本丸、きたい丸、二ノ丸、隠居丸などの曲輪と石垣を見ることができます。特に本丸上段の天守台石垣は見事で、三重の天守があったとされる場所からは城下町を一望できます。桝形虎口の遺構も良好に残り、当時の防御構造を体感することができます。
7. 周辺の文化施設
城跡周辺には松阪市立歴史民俗資料館と本居宣長記念館があり、松阪の歴史と文化を学ぶことができます。特に本居宣長記念館では国学者本居宣長の生涯と業績を紹介しており、隣接して宣長の旧宅である鈴屋も移建されています。これらの施設では日本100名城スタンプも設置されています。
8. 御城番屋敷と武家文化
松坂城跡に隣接する御城番屋敷は、江戸末期に紀州藩士が松坂城を警護するために住んだ武家長屋で、国の重要文化財に指定されています。現在も子孫の方々が居住されており、一部が公開されています。武家屋敷の佇まいは当時の武家文化を今に伝える貴重な遺構として、松坂城跡と合わせて見学することができます。
9. 日本100名城スタンプと御城印
日本100名城(48番)のスタンプは松阪市立歴史民俗資料館と本居宣長記念館に設置されています。月曜日の休館日には豪商のまち松阪観光交流センターと松阪駅観光情報センターでも押印可能です。御城印は松阪市観光協会や歴史民俗資料館で300円で販売されており、23種類の御城印が用意されています(販売終了も含む)。
10. 四季の魅力とアクセス
松坂城跡は松阪公園として整備され、春には250本以上の桜が咲き誇る桜の名所として人気があります。桜の後は藤が見頃となり、夏は緑陰、秋は紅葉と四季を通じて美しい景観を楽しめます。アクセスはJR・近鉄松阪駅から徒歩約15分、または三重交通バス「市役所前」下車徒歩3分。隣接する市営駐車場が利用でき、松阪牛グルメと合わせて楽しむ観光コースとしても人気があります。