104.九戸城
続100名城基本情報
住所 | 岩手県二戸市福岡城ノ内 |
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電話 | 0195-23-8020(二戸市埋蔵文化財センター) |
築城年 | 明応年間(1492〜1501年) |
営業情報
開館時間 | 10:00〜15:00(九戸城ガイドハウス・4月上旬〜11月30日) |
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入場料 | 無料 |
休館日 | 12月〜4月上旬(ガイドハウス閉館) |
1. 九戸城の概要と歴史的地位
九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内にあった明応年間(1492〜1501年)築城の中世平山城で、南部氏の一族である九戸氏が居城としました。別名を福岡城・宮野城とも呼び、「九戸政実の乱」の舞台として豊臣秀吉の天下統一最後の戦場となった歴史的に重要な城郭です。馬淵川右岸の河岸段丘に築かれた総面積34ヘクタールの広大な城域を持ち、1935年(昭和10年)に国史跡に指定され、2017年には続日本100名城(104番)に選定されました。
2. 築城の背景と九戸氏の発展
九戸城の築城年代には諸説ありますが、九戸光政が明応年間(1492〜1501年)に築城したとする説が有力とされています。九戸氏は南部氏一族の中でも最大の勢力を誇る大身で、奥六郡を治めた俘囚長・安倍頼時の血筋を引くとも伝えられます。九戸氏は代々この地を治め、特に11代(一説では14代)政実の時代には南部氏宗家に匹敵する勢力を築き、津軽地方にまで影響力を及ぼす有力な戦国大名として成長しました。
3. 城郭構造と立地の特徴
九戸城は馬淵川右岸に形成された河岸段丘上に築かれ、南北500メートル、東西750メートルのL字形の縄張りを持つ大規模な平山城です。西を馬淵川、北を白鳥川、東を猫淵川に囲まれた天然の要害で、それぞれの川床まで落差20メートルの断崖が続きます。本丸・二の丸・三の丸・松の丸・若狭館・石沢館から構成され、本丸と二の丸の間には幅10〜18メートル、深さ3〜5メートルの空堀があり、東北地方最古とみられる石垣遺構が現存しています。
4. 九戸政実の乱と落城
天正19年(1591年)、南部氏宗家の後継者問題から九戸政実は南部信直に対して反乱を起こしました。豊臣秀吉が小田原征伐後の奥州仕置で南部信直を公認したことに反発し、櫛引清長や久慈直治らと共に挙兵した政実は九戸城に籠城しました。豊臣秀次を大将とする6万の奥州再仕置軍が九戸城を包囲し、5千の九戸軍と激戦を繰り広げましたが、和議の約束を反故にされ、城内全員が討たれる「撫で斬り」により九戸城は落城しました。
5. 現在の保存状況と活用
九戸政実の乱後、蒲生氏郷によって豊臣流の近世城郭に改修され、南部信直が三戸城から居を移し福岡城と改めました。盛岡城完成後の寛永13年(1636年)に廃城となりましたが、現在は史跡公園として整備され、九戸城ガイドハウスが設置されています。発掘調査により中世と近世両時代の遺構が発見され、特に蒲生氏郷が築いた石垣は東北地方最古の石垣として貴重な文化遺産となっています。続日本100名城スタンプはガイドハウスと二戸市埋蔵文化財センターで押印できます。
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