17.金山城
日本100名城基本情報
住所 | 群馬県太田市金山町40-106 |
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電話 | 0276-25-1066(史跡金山城跡ガイダンス施設) |
築城年 | 1469年(文明元年) |
営業情報
開館時間 | ●散策自由(24時間) ●ガイダンス施設 9:00-17:00 |
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入場料 | 無料 |
休館日 | なし(ガイダンス施設は年末年始休館) |
1. 歴史と概要
金山城は群馬県太田市の金山(標高239m)に位置する山城で、1469年(文明元年)に新田氏の一族である岩松家純によって築城されました。関東地方では珍しい石垣造りの城として知られ、武田信玄、上杉謙信、北条氏康など名だたる戦国大名の攻撃を十数回にわたって退けたことから「難攻不落の名城」と称されました。東西3.1km、南北3.8kmという国内最大規模の縄張りを持ち、関東七名城の一つに数えられています。1934年(昭和9年)に国の史跡に指定され、2006年(平成18年)に日本100名城の17番に選定されました。
2. 築城の背景と新田氏の系譜
金山城の築城は、戦国時代における関東の政治情勢と密接に関わっています。築城者の岩松家純は新田義貞の末裔で、南北朝時代に活躍した新田氏の血を引く名族でした。新田氏は源氏の嫡流として足利氏と並ぶ名門でしたが、室町時代には衰退していました。岩松氏は新田氏の遺領を継承し、上野国の有力豪族として金山城を拠点に勢力を築きました。江戸時代には徳川家康が新田氏の末裔を自称したため、金山は徳川氏発祥の地として特別視され、幕府直轄林として保護されました。
3. 下剋上と由良氏の台頭
1528年(享禄元年)、岩松氏の重臣横瀬泰繁が下剋上を起こし、「享禄の乱」により岩松昌純を城から追放しました。横瀬氏は後に由良氏と改姓し、金山城の実質的な支配者となります。由良氏の時代には、由良成繁、由良国繁らが城主を務め、武田信玄や上杉謙信の度重なる攻撃に対して巧みな外交と堅固な城郭により独立を保ちました。由良氏は時には武田氏、時には上杉氏と結んで生き残りを図る巧妙な戦略を展開し、金山城の名声を高めました。
4. 石垣造りの特徴と技術
金山城の最大の特徴は、関東の山城では極めて珍しい本格的な石垣です。従来、戦国時代の関東には本格的な石垣はないとされていましたが、金山城の発掘調査によりこの定説が覆されました。特に大手虎口周辺の石垣は、排水溝を備えた石造りの路面と組み合わされ、高度な土木技術を示しています。石垣には「アゴ止め石」と呼ばれる沈下防止技法も採用され、5回の改修が確認されるなど、継続的な技術向上の跡が見られます。
5. 現存する遺構と見どころ
金山城跡には多くの貴重な遺構が残されています。大手虎口は整然とした石畳と石垣で構築され、当時の正門として機能していました。山頂部には日ノ池と月ノ池と呼ばれる石造りの池があり、山城では珍しい恒常的な水源として籠城戦に備えていました。実城(本丸)には現在新田神社が鎮座し、昭和天皇も参拝された由緒ある場所です。また、各所に設けられた堀切や土塁、虎口などの防御施設が、当時の築城技術の高さを物語っています。
6. 上杉謙信の攻撃と防御戦略
金山城は上杉謙信による5度の攻撃を受けましたが、一度も落城することはありませんでした。城の防御力の秘密は、金山全体を要塞化した壮大な縄張りにありました。主要部の実城を中心に、西城、北城(坂中城)、八王子山ノ砦の4つの曲輪群を配置し、これらを堀切と土塁で結んで一体的な防御網を構築していました。また、山麓には城主や家臣団の館・屋敷による根小屋(城下町)が形成され、政治・経済の中心としても機能していました。
7. 北条氏の支配と廃城
1584年(天正12年)、由良氏は後北条氏の傘下に入り、金山城は北条氏の支配下となりました。北条氏は金山城を関東北部の重要拠点として位置づけ、さらなる改修を行いました。しかし、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際、前田利家らの軍勢により無血開城し、120年余りの歴史に幕を閉じました。廃城後も江戸幕府により献上松茸の産地として保護され、城跡の遺構が良好に保存される結果となりました。
8. 発掘調査と史跡整備
1992年(平成4年)から本格的な発掘調査が開始され、金山城の実像が科学的に解明されています。調査により、石垣の構築技術、通路の形態、建物の配置などが詳細に判明し、戦国時代の築城技術史を塗り替える重要な発見が相次いでいます。現在は遺構の保存と活用を両立させた史跡公園として整備され、往時の通路や石垣が復元されています。2009年(平成21年)には建築家隈研吾設計による史跡金山城跡ガイダンス施設が開館し、最新の展示技術で金山城の魅力を伝えています。
9. 周辺の見どころと文化
金山城周辺には多くの関連史跡があります。山麓の大光院は徳川家康が新田義重の供養のために建立した寺院で、「子育て呑龍さま」として親しまれています。世良田東照宮は日光東照宮の前身とされる由緒ある神社です。また、太田市は中島飛行機の創業地としても知られ、現在のSUBARUの企業城下町として発展してきました。地域グルメの太田焼きそばは、太くてコシのある麺と特製ソースが特徴の名物料理です。
10. アクセス・見学情報
金山城へのアクセスは東武伊勢崎線太田駅が起点となります。駅からガイダンス施設まで徒歩約50分、タクシーで約10分です。太田駅ではレンタサイクルも利用できます。自動車の場合は北関東自動車道太田桐生ICから約10分で、山頂の金山モータープールに無料駐車場(約30台)があります。ガイダンス施設では御城印(300円)や詳細ガイドブック(200円)を購入できます。日本100名城スタンプは南曲輪の休憩所内に24時間設置されています。見学所要時間は1~2時間程度で、ハイキングコースとしても人気があります。展望台からは関東平野を一望でき、晴天時には富士山も望めます。
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