102.上ノ国勝山館
続100名城基本情報
住所 | 北海道檜山郡上ノ国町字勝山 |
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電話 | 0139-55-2311(上ノ国町役場) |
築城年 | 15世紀後半(1473年頃) |
営業情報
開館時間 | 10:00~16:00(4月~11月、ガイダンス施設) |
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入場料 | 無料 |
休館日 | 月曜日、祝日の翌日、11月~3月はガイダンス施設休館 |
1. 勝山館の概要と歴史的地位
上ノ国勝山館(かみのくにかつやまだて)は、北海道檜山郡上ノ国町にあった15世紀後半の中世山城で、松前藩の祖である武田信広によって築かれたとされています。別名を和喜館・脇館とも呼び、蠣崎氏(後の松前氏)の本拠地として政治・軍事・北方交易の一大拠点となりました。夷王山の中腹に築かれた総面積20.9ヘクタールの大規模な城郭で、1977年に「上之国館跡」の一つとして国の史跡に指定され、2017年には続日本100名城(102番)に選定されました。
2. 築城の背景と蠣崎氏の発展
勝山館の築城年代は明確ではありませんが、館北端の館神八幡宮の創建が文明5年(1473年)と伝えられることから、この頃の築城と推定されています。武田信広あるいはその子光広以降、蠣崎氏の本拠地として機能しましたが、光広の時代の永正11年(1514年)に松前の徳山館(後の松前城)に本拠を移転しました。その後は主要な副城として「和喜の館」と称され、一族が配置されて蠣崎氏の勢力拡大を支える重要な拠点として維持されました。
3. 城郭構造と立地の特徴
勝山館は夷王山の中腹、南から北へと伸びる斜面を巧みに利用して築かれており、長さ270メートル、幅100メートルの規模を誇ります。城の背後から山頂に向かって中世和人の墳墓群(夷王山墳墓群)が存在し、城と墓域が一体となった特異な構造を持っています。日本海を見下ろす要害の地に位置し、海上交通の監視と北方交易の管理に適した立地条件を備えていました。館内は複数の郭に分かれ、それぞれに建物跡や井戸跡、柵跡などの遺構が確認されています。
4. 発掘調査と出土遺物の価値
戦後から本格的な発掘調査が開始され、1979年からの調査では15世紀後期から16世紀後期にかけての膨大な遺物が出土しました。その総数は7万点におよび、中国製や朝鮮製の陶磁器、金属器、漆器、骨角器など、当時の北方交易の実態を物語る貴重な資料が含まれています。特に主要な遺物921点は国の重要文化財に指定されており、中世北海道における和人とアイヌの交流、さらには東アジア各地との交易関係を解明する上で極めて重要な考古学的価値を持っています。
5. 現在の保存状況と活用
勝山館跡は現在、史跡公園として整備され、夷王山駐車場に隣接して勝山館跡ガイダンス施設が設置されています。施設内では勝山館跡の200分の1復元模型や出土品の展示、コンピューターグラフィックスによる往時の勝山館の再現映像などが見学できます。夷王山墳墓群も含めて「上ノ国の中世の館」として北海道遺産に登録されており、北海道における和人定住の歴史を物語る重要な文化遺産として保存・活用されています。続日本100名城スタンプはガイダンス施設に設置され、閉館時は上ノ国町総合福祉センターで押印できます。
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上ノ国町総合福祉センター(閉館時)