140.玄蕃尾城
続100名城基本情報
住所 | 福井県敦賀市刀根・滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬(県境) |
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電話 | 0770-23-1146(敦賀市文化・交流推進課) |
築城年 | 天正11年(1583年) |
営業情報
開館時間 | 見学自由(駐車場の受付ポストは4月~11月設置) |
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入場料 | 無料 |
休館日 | なし(冬季積雪期は注意) |
1. 玄蕃尾城の概要と歴史的意義
玄蕃尾城は、福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境にある戦国時代の山城で、2017年に続日本100名城(140番)に選定されています。内中尾山の山頂(標高約450m)に位置し、内中尾山城とも呼ばれます。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、織田家重臣・柴田勝家の本陣が置かれた陣城として歴史に名を刻んでいます。平成11年(1999年)7月13日に「玄蕃尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定され、現在も当時の遺構が良好な状態で保存されています。
2. 築城の背景と戦略的位置
玄蕃尾城は、湖北から北庄への北国街道(現在の国道365号)と、そこから分岐する刀根越の道の双方を抑える軍事上の要所に位置しています。越前と北近江との国境にあり、越前北ノ庄城の城主であった柴田勝家が国境の守りとして築いたものとされています。城の名前は、勝家の家臣・佐久間玄蕃允盛政によって開かれた尾根道「玄蕃ヶ尾」に由来し、転じて本陣の城も「玄蕃尾城」と呼ばれるようになりました。すぐ南には織田軍と朝倉軍が戦った刀根坂の戦いの舞台である刀根越があります。
3. 賤ヶ岳の戦いと柴田勝家の本陣
天正11年(1583年)3月、羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が戦った「賤ヶ岳の戦い」において、勝家は玄蕃尾城を本陣として軍事作戦を展開しました。この戦いは織田信長の後継者争いの決着をつける重要な合戦でしたが、勝家はこの城では戦わずして撤退したため、玄蕃尾城は合戦当時のまま良好な状態で保存されることになりました。この歴史的経緯により、玄蕃尾城は400年以上にわたって柴田勝家時代の縄張りと遺構をそのまま現代に伝える極めて貴重な戦国遺跡となっています。
4. 城郭の構造と遺構の特徴
玄蕃尾城は、南北に主要4つの曲輪で構成され、各曲輪を土橋で連結し、土塁と空堀で囲んで多重防御を施した高度な縄張りを持っています。その規模は南北250m、東西150mに及び、主郭には南側と北側に馬出、東側に出曲輪を設けて防備を固めています。主郭の北東隅には方形の一段高くなった場所があり、櫓のような建造物があったと推定されています。主郭部北側の搦手がある曲輪は最大の広さがあり、兵糧などの物資や兵の駐屯のためのスペースであったと考えられています。
5. 現在の城址と見学情報
現在の玄蕃尾城は、柳ヶ瀬トンネル手前の林道を約2km登った駐車場から徒歩約20分でアクセスできます。4月から11月まで駐車場に仮設トイレと受付ポストが設置され、続日本100名城のスタンプとパンフレットが用意されています。冬季積雪期間中は設備が撤去されるため、スタンプは余呉駅・余呉湖観光館や敦賀市役所で押印可能です。玄蕃尾城跡保存会が作成した御城印は敦賀市役所3階文化・交流推進課窓口と敦賀市立博物館窓口で配布されており、城址見学は通年無料です。
アクセスマップ
関連リンク
散歩記録
御城印情報
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交流推進課窓口
スタンプ情報

余呉駅・余呉湖観光館(通年)