154.田丸城
続100名城基本情報
住所 | 三重県度会郡玉城町田丸 |
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電話 | 0596-58-8212(村山龍平記念館) |
築城年 | 延元元年(1336年) |
営業情報
開館時間 | 9:00〜17:00(村山龍平記念館) |
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入場料 | 無料(城跡見学) |
休館日 | 年末年始(村山龍平記念館) |
1. 歴史的背景
田丸城は延元元年(1336年)に北畠親房・顕信父子が南朝方の拠点として玉丸山に築いたのが始まりです。南北朝時代には激しい攻防戦が繰り広げられ、1342年(康永元年)に足利尊氏によって一度落城しましたが、その後室町時代には伊勢国司となった北畠氏によって再建されました。
2. 織田氏時代の改修
天正3年(1575年)に織田信長の次男・信雄が北畠具教の養嗣子として田丸城を居城とし、三層の天守を備えた近世城郭へと大改修しました。しかし天正8年(1580年)に金奉行・玄智による放火で天守閣をはじめ主要部が焼失し、信雄は松ヶ島城へと移りました。
3. 江戸時代の変遷
関ヶ原の戦後、稲葉重通が城代となり、その子・道通が正式に城主となって岩出城の資材を移して大改修を行いました。その後、藤堂高虎の支配を経て、紀州藩附家老の久野氏が1万石で田丸領6万石を統治し、明治維新まで続きました。
4. 城郭構造
田丸城は平山城で、野面積みの石垣が美しく、中心部は石垣に覆われています。天守台は放射線状に配置された石階段が特徴的で、内部は穴蔵と呼ばれる半地下室のような構造となっています。
5. 現在の保存状況
田丸城は延元元年(1336年)に北畠親房が南朝方の拠点として築いた平山城で、南北朝時代の激しい攻防戦の舞台となり、その後織田信雄による天正3年(1575年)の三層天守を備えた近世城郭への大改修により、南北朝時代の中世城郭と織豊系の近世城郭の両方の遺構を併せ持つ貴重な城郭として注目されています。
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御城印情報

価格:
300円
販売場所:
村山龍平記念館
スタンプ情報

設置場所:
村山龍平記念館