143.美濃金山城
続100名城基本情報
住所 | 〒505-0130 岐阜県可児市兼山 |
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電話 | 0574-62-1111(可児市観光交流課) |
築城年 | 天文6年(1537年) |
営業情報
開館時間 | 城跡:終日見学可 ミュージアム:9:00~16:30 |
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入場料 | 城跡:無料 ミュージアム:210円 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始 |
1. 美濃金山城の歴史と概要
美濃金山城は天文6年(1537年)に斎藤道三の養子である斎藤正義によって「烏峰城」として築城された山城で、岐阜県可児市兼山の標高277mの古城山山頂に位置しています。永禄8年(1565年)に織田信長の家臣森可成が城主となって「金山城」と改称し、以後35年間にわたって森氏3代(可成・長可・忠政)の居城として東美濃支配の拠点となりました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い直前に森忠政が信濃海津城に移封され、翌慶長6年(1601年)に犬山城主によって破城されましたが、その後ほとんど改変されることなく約400年間保たれ、平成25年(2013年)に国史跡に指定されています。
2. 織豊系城郭の特徴と破城跡
美濃金山城最大の特徴は、織田信長・豊臣秀吉時代の「織豊系城郭」の特徴である石垣・礎石建物・瓦の使用が全て確認できる東海地方でも稀少な城郭であることです。破城により故意に崩された石垣があちこちに転がり、特に本丸虎口の石垣には等間隔で縦置きされた石が配置されて「見せつける石垣」の特徴を示しています。天守台には2重2階の複合式層塔型天守があったとされ、安土城天守とほぼ同時期に建てられた貴重な天守建築でしたが、破城時に取り壊されて犬山城の増築・修復に使用されたという「金山越」の伝承が残されています。
3. 森蘭丸生誕の地としての意義
美濃金山城は織田信長の小姓として本能寺の変で主君と運命を共にした森蘭丸の生誕地として特に有名で、蘭丸をはじめとする森氏一族の歴史的意義は極めて重要です。城の麓には「蘭丸ふる里の森」が整備され、森氏の鶴乃丸紋をあしらった御城印や可愛らしい「らんまるくん」のキャラクターグッズなども販売され、地域のシンボルとして親しまれています。可児市戦国山城ミュージアムでは森氏3代の歴史資料や美濃金山城の復元ジオラマが展示され、明治18年竣工の小学校校舎を活用した懸け造り3階建ての建物自体も貴重な文化遺産となっています。
4. 木曽川流域の戦略的要衝
美濃金山城は木曽川中流域の左岸に位置し、木曽川舟運と中山道を監視する戦略的要衝として重要な役割を果たしました。城下町は木曽川の流路に沿って帯状に発展し、河川流通の拠点として繁栄した歴史があります。本丸跡からは木曽川と可児市街地を一望でき、防御施設であると同時に「見たいし見せたい城」として築かれた権威の象徴でもありました。搦手側麓に築かれた高さ5~7m、長さ40mに及ぶ米蔵跡の野面積み石垣は圧倒的な迫力で訪問者を魅了し、地域住民の保全活動により美しい景観が維持されています。
5. 現代的価値と保護活動
美濃金山城跡は平成30年に続日本100名城に選定されて以降、全国から多くの城郭ファンが訪れる人気スポットとなり、国史跡指定10周年を迎えた令和5年には記念事業も開催されました。可児市戦国山城ミュージアムを拠点とした見学体制が整備され、御城印の売上金は城跡の保存整備活動に活用されるなど、地域一体となった文化財保護の取り組みが行われています。年間を通じて「山城に行こう!」などのイベントが開催され、ドローン映像による上空からの城跡見学や専門ガイドによる解説ツアーなど、最新技術と伝統的な史跡解説を組み合わせた魅力的な文化観光が展開されています。
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