111.向羽黒山城

111.向羽黒山城

📍基本情報

住所 〒969-6003 福島県大沼郡会津美里町船場甲
電話 0242-79-1900(会津美里町生涯学習課)
築城年 1568年(永禄11年)年

🕒営業情報

開館時間 10:00~14:00(向羽黒ギャラリー)
入場料 無料
休館日 平日(4月~12月の土・日・祝日のみ開館)

散歩記録

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1. 向羽黒山城の概要

向羽黒山城は、陸奥国(福島県大沼郡会津美里町)にあった日本の城(日本最大級の山城)。城跡は国の史跡に指定されている。白鳳三山の最高峰・岩崎山は向羽黒山とも称し、そこに蘆名盛氏が永禄11年(1568年)に山城を築いた。城の規模は、東西1.4キロメートルで南北1.5キロメートル、面積は50ヘクタール。東を流れる阿賀川や東部分の崖などの天然の要害に加えて土塁や堀などの防御施設がいたるところに造営されている。

2. 城の特徴と構造

岩崎山山頂の本丸(実城)跡を中心に現在公園となっている二の丸跡、三の丸跡、伝盛氏屋敷跡などの郭をはじめ、竪堀や空堀、虎口、石塁の跡などの戦国山城の名残が城跡内各所に残されている。城の東側直下を阿賀川が流れており、さらには会津盆地一円を望むことができる。向羽黒山城は戦国時代会津を治めた蘆名盛氏が8年もの歳月をかけて築城した天然の要害である。現在も一曲輪や二曲輪、九十九折の道、城への出入口とされた虎口などの遺構を残し、かつての面影を偲ばせる。

3. 歴史的意義

1589年(天正17年)、蘆名氏が伊達政宗に「摺上原の戦い」で敗れたのちも会津領主となった政宗や蒲生氏郷、上杉景勝らが改修をして利用し、その規模は東北最大級である。とくに上杉氏は豊臣秀吉の命により会津に移封となった1598年(慶長3年)から1599年(慶長4年)にかけて、韓国の熊川倭城を参考に籠城戦を想定した改修を加えたという。景勝・兼続は、向羽黒山城を対家康戦の最後の砦として考えていた説もあり、会津で東北の関ヶ原が行われていれば、最も重要な砦となりえる山城であった。

4. 現在の状況

「関ケ原の戦い」終結後の1601年(慶長6年)、上杉氏の米沢藩への減移封にともない廃城となった。現在城趾は「白鳳山公園」として整備されており、空堀や土塁などの遺構が数多く残されている。2001年(平成13年)、国の史跡に指定された。向羽黒山城跡は、白鳳山公園と呼ばれ町内外の方から親しまれている。白鳳山公園は観音山・羽黒神社のある羽黒山・一曲輪(いちのくるわ)のある岩崎山の3つの山から成る。

5. 文化的価値

「向羽黒山城跡整備資料室」(通称:向羽黒ギャラリー)では、これまで実施してきた発掘調査の様子や城の立体模型等が展示されている。平成13年8月7日、国の史跡指定となった向羽黒山城の遺構の巨大さは東北随一。上杉謙信の居城であった春日山城をも凌ぐといわれており、全国でも有数の山城として熱い視線が注がれている。盛氏以降の時代にならないと出現しない遺構も多く存在することから、歴代の会津領主(伊達・蒲生・上杉氏)が改修を繰り返していたことがわかっている。

📍 アクセスマップ

🎫 御城印情報

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価格 300円
販売場所 向羽黒ギャラリー

🏯 スタンプ情報

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設置場所 向羽黒山城跡整備資料館前

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