9.久保田城
日本100名城散歩記録
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📷 散歩記録準備中1. 久保田城の概要と歴史的意義
久保田城は、秋田県秋田市千秋公園にある日本100名城第9番の平山城です。1602年に佐竹義宣によって築城され、常陸54万石から秋田20万石に転封された佐竹氏が12代267年間にわたって居住した居城として知られています。江戸時代を通じて秋田藩の政治的中心地として機能し、現在は千秋公園として市民に親しまれています。
2. 築城の経緯と佐竹氏の転封
久保田城の築城は、関ヶ原の戦いで曖昧な態度を取った佐竹義宣の常陸から出羽秋田への転封に始まります。1602年に義宣が湊城に入城しましたが、平城で防衛に不向きな上、54万石の家臣団には手狭でした。このため神明山の丘陵地に新城の築城を開始し、築城当初は地名から「窪田城」と呼ばれ、1633年頃から「久保田城」と改称されました。
3. 城郭構造と防御システム
久保田城の最大の特徴は、石垣をほとんど用いない土塁(鉢巻土手)による防御システムです。神明山の自然地形を巧みに利用し、本丸・二の丸・三の丸を配置し、複雑に入り組んだ土塁と堀で敵を惑わす構造となっています。天守閣は幕府への配慮と財政事情から築かれず、代わりに8つの櫓が要所に配置されました。
4. 現存建造物と復元施設
久保田城では現在、江戸時代から唯一現存する物頭御番所(おものがしらごばんしょ)を見ることができます。また、本丸表門は2000年に再建され、本丸北西隅の御隅櫓は1989年に市政100周年を記念して復元されました。復元された御隅櫓は本来の二重櫓から三重四階の模擬櫓として展望室機能も備えています。
5. 千秋公園としての整備と桜の名所
明治時代に城郭が払い下げられ、1896年に造園家・長岡安平による設計で千秋公園として整備されました。公園の名称は漢学者・狩野良知により命名され、現在は「さくら名所100選」に選定される桜の名所として知られています。約1700本の桜が植えられ、毎年4月中旬から下旬にかけて美しい花を咲かせます。
6. 火災の歴史と城の変遷
久保田城は江戸時代を通じて幾度となく火災に見舞われました。特に1776年の大火では穴門・矢倉門・表門・本丸御殿まで延焼し、1778年には本丸が全焼するなど甚大な被害を受けました。しかし、その都度再建が行われ、明治維新まで佐竹氏の居城として機能し続けました。1880年の明治の大火でも多くの建物が失われました。
7. 戊辰戦争と久保田城
1868年の戊辰戦争では、久保田藩は新政府軍を支持したため庄内藩・盛岡藩などから攻撃を受けました(秋田戦争)。庄内藩軍は城下12kmの椿台まで迫りましたが、仙台藩・米沢藩の降伏により庄内藩が撤退したため、久保田城は戦禍を免れることができました。これにより江戸時代の遺構が維持されました。
8. 文化財指定と史跡としての価値
久保田城跡は「千秋公園(久保田城跡)」として秋田市指定名勝に指定されており、2006年には日本100名城第9番に選定されました。江戸時代の城郭でありながら石垣をほとんど用いない土塁の城として、東北地方特有の築城技術を示す貴重な史跡として評価されています。発掘調査により当時の構造も明らかになっています。
9. 観光の見どころと散策ルート
現在の千秋公園では、大手門跡から始まる散策路で城の全容を体感できます。鉢巻土塁の迷路のような構造を抜けて本丸に至るルートは、当時の防御システムを実感できる貴重な体験です。御隅櫓からは秋田市街地を一望でき、物頭御番所では江戸時代の建築を間近に見ることができます。春の桜シーズンは特に美しく、多くの観光客で賑わいます。
10. アクセスと周辺の見どころ
久保田城へは秋田駅から徒歩約10分と好立地にあります。周辺には秋田県立美術館、秋田市立千秋美術館、ねぶり流し館などの文化施設が充実しており、秋田市の観光の中心地となっています。100名城スタンプは御隅櫓(冬季は秋田市文化創造館)で押印でき、御城印は墨城印として通信販売で入手可能です。
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