12.会津若松城
日本100名城基本情報
住所 | 福島県会津若松市追手町1-1 |
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電話 | 0242-27-4005(一般財団法人会津若松観光ビューロー) |
築城年 | 1384年 |
営業情報
開館時間 | 8:30~17:00(入城は16:30まで) |
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入場料 | 大人410円、小中学生150円 |
休館日 | 無休 |
歴史と概要
至徳元年(1384年)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とする会津若松城は、地元では「鶴ヶ城」の名で親しまれています。会津地方の要衝に位置し、梯郭式の平山城として、本丸を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が配置された規模の大きな城郭でした。城下町の南端に位置し、会津藩の政庁として会津の政治の中心を担ってきました。
築城の背景と発展
戦国時代になると蘆名氏の居城として発展し、天正17年(1589年)に伊達政宗が蘆名氏を滅ぼして一時的に支配しました。文禄2年(1593年)に蒲生氏郷が入城すると、東日本で初の本格的な7層の天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名し、近世城郭への大改修を行いました。その後、上杉景勝、再び蒲生秀行、加藤嘉明・明成父子と城主が変遷し、寛永20年(1643年)に保科正之が入封してからは明治維新まで会津松平家の居城となりました。
戊辰戦争と籠城戦
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、会津藩が奥羽越列藩同盟の中心となって新政府軍と戦いました。鶴ヶ城は新政府軍の猛攻に約1ヵ月間耐え抜き、1日2,500発もの砲弾を浴びながらも落城することなく、難攻不落の名城としてその名を歴史に刻みました。この籠城戦は白虎隊の悲劇とともに、会津の武士道精神を象徴する出来事として語り継がれています。
現在の天守と復元建築
明治7年(1874年)に天守閣をはじめとする全ての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965年)に鉄筋コンクリート造で天守閣が復元されました。平成23年(2011年)には、戊辰戦争当時の赤瓦に復元され、国内唯一の赤瓦天守として注目を集めています。また、平成に入り茶室「麟閣」や隅櫓も復元され、城郭の威容を現代に伝えています。
石垣の技術と遺構
現在残る石垣は蒲生時代と加藤時代のものとされ、特に本丸東側の「扇の勾配」と呼ばれる高石垣はこの地方の城郭では珍しい高さと美しさを誇ります。廊下橋から見える石垣群は、かつての追手口の威容を物語る重要な遺構です。天守にあるシャチホコには、市民からの寄贈により2カラットのダイヤモンドが瞳に埋め込まれているという珍しい特徴があります。
桜の名所としての魅力
鶴ヶ城は「さくら名所100選」にも選定され、春には約1,000本のソメイヨシノを中心とした桜が咲き誇ります。毎年4月上旬から下旬にかけて開催される「鶴ヶ城さくらまつり」では、夜間ライトアップも実施され、赤瓦の天守と桜のコントラストが幻想的な美しさを演出します。城内の様々な場所から「桜と天守」の絶景を楽しむことができます。
文化的価値と施設
天守内は郷土博物館として整備され、会津の歴史や戊辰戦争に関する貴重な資料が展示されています。令和4年(2022年)からは最新のデジタル技術を活用した「鶴ヶ城 光の歴史絵巻」が開始され、歴史をより身近に体験できる文化観光案内所として機能しています。茶室「麟閣」では千利休の子・少庵ゆかりの茶室を復元し、茶の湯文化も体験できます。
周辺の見どころ
城内には鶴ヶ城稲荷神社があり、会津葵御紋の朱印を土日に頂くことができます。また、会津武家屋敷では江戸時代の武家の生活を学ぶことができ、季節ごとに桜まつりや菊祭りなどのイベントも開催されています。東山温泉は新選組の土方歳三も訪れた歴史ある温泉地で、戊辰戦争で負傷した体を癒やしたと伝えられています。
アクセス・見学情報
JR会津若松駅からまちなか周遊バス「鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分。車の場合は磐越自動車道会津若松ICから約15分。駐車場は350台収容可能。日本100名城スタンプは天守閣内売店(天守出口)に設置。御城印は歴代城主8家の家紋がデザインされた通常版(300円)と赤べこセット(500円)を鶴ヶ城観光案内所で販売しています。
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