ざっくり変遷
天守が残っていないお城です。城郭を眺めながらこんな天守が建っていたのかなあと想像しながらの散歩でした。城へは車で行きました。梅林門の下あたりに砂利の駐車場があり使わせていただきました。追手向櫓を見ながら毘沙門曲輪を通り極楽橋へと進んでいき、本丸、天守台へ。
1162年 郡山城の前進となる城がこの頃築城か。
1580年 信長の後ろ盾で、筒井順慶が郡山城に入る。
1583年 順慶、改修、天守完成。
1585年 秀吉の弟豊臣秀長が100万石の領主として郡山城に入城。
1595年 秀長の子秀保没後、20万石の領主として増田長盛が郡山威に入城。
1600年 関ケ原後、長盛は高野山へ追放。家康により郡山城のほとんどが伏見城に移築、天守は二条城に移築。城跡は奈良奉行所の管轄となる。
1615年 刈谷から6万石の城主として水野勝成が入城。
1620年 水野勝成転封、松平忠明が12万石の城主として入城。
1639年 松平忠明転封、本多政勝が15万石の城主として入城。
1679年 松平信之、8万石の城主として入城。
1685年 本多忠平、12万石の城主として入城。
1724年 柳沢吉里、15万石の城主として入城。
1873年 廃城令により廃城。
秀長100万石の時の城下町はどんなだったのでしょうか。奈良市中の商売を郡山に集中させたとのことなので、さぞかし大規模な城下町だったのではないでしょうか。
車でアプローチ
車載ナビを頼りに、お城を目指します。『郡山城跡』の大きな看板が見えてきましたので、駐車場を探しましたが、なかなか見つからず何往復かしましたが、梅林門下にある砂利の駐車場を偶然発見。無事駐車しお城お散歩へ。
➊ 初めての土地に行くと目的地に本当にたどりつけつのか不安だったりしますね。
➋ 看板が見えてくるとホッとします。
❸ どの車線にいればよいのか、迷う交差点(笑)
❹ この道をみつけられなくて、ウロウロしてました。
❺ 車のすれ違いが厳しい細い道を進む進む。
❻ 何がみえているのかこの段階ではわかりませんでしたがとりあえず撮影。
➐ 駐車場到着!
梅林門と追手向櫓
駐車場に車を停めた目の前に、追手向櫓がそびえたっていました。入場料的なものはなく、梅林門をくぐってお城の内部へ進んでいきました。梅林門は、1724年3月21日に柳沢吉里が名付けたそうです(もともとは一庵丸門と呼ばれていたそうです)。
➊ 梅林門(追手門)の由来が書かれている看板です。
➋ 梅林門を外側から見たところ。
❸ くぐって上を見ています。ちょっと手ブレがひどいですね。
❹ 内側から見ています。
❺ 内側から全体像です。
❻ 追手向櫓を下から見上げています。い壁面が炭のように見えます。
➐ 櫓が梅林門につながっています。
➑ 2日に渡って訪れたので空がまったく違いますね。
➒ 天守が無いので、櫓に目が行ってしまいます。
➓ 梅林門とは反対方向。櫓の下を柳沢文庫に直通の道があります。
⓫ 柳沢文庫に続く道側から櫓を見上げています。
⓬ 『久護門跡』という石碑発見。どこで見たのか記憶が…。
梅林門を後にして極楽橋に向かって
梅林門を後にして、曲輪跡を通りぬけて極楽橋へと向かいました。『極楽橋』は内堀にかけられた橋で、本丸へつながります。
➊ 木々が多い茂り、非日常感に包まれています。
➋ ベンチが用意されていてちょっとした公園になっているのでしょうか。
❸ 天守跡が見えます。
❹ 天守台跡をバックに本丸と天守台の説明看板がありました。
❺ 天守台の全貌が見えてきました。
❻ 奥のほうに極楽橋もみえてきました。
➐ 内堀。右側が北だと認識しています。
❽ 曲輪をウロウロしています。奥に見えるのが旧奈良県立図書館でしょか。
➒ 曲輪ウロウロしながら、振り返ると梅林門が見えました。
➓ 毘沙門曲輪と思いますが…。ウロウロしています。
⓫ 追手向櫓を内側から見ています。写っていないですが梅林門が左側につながっている感じです。
⓬ 看板の後ろが櫓です。
⓭ 看板。追手向櫓は二重櫓だったそうです。
⓮ 櫓内側から見ています。雑草が半端なく写真をとりに行くのに苦労しました。
⓯ きれいな、東屋といった感じの建物が芝生の真ん中にありました。
⓰ 極楽橋に向かって歩いています。
⓱ なんだ、これは?
⓲ ということで、説明看板みつけました。
⓳ 説明看板、ありがたいです。
⓴ ちょっとした公園ですね。
極楽橋と柳沢文庫へ
極楽橋は本丸をぐるりと囲う内堀に架かる橋です。渡り切ったところに白沢門が建てられています。
➊ 見えてきました。
➋ 立派な橋です。渡る前に撮影。
❸ 橋の向こうに天守台跡です。
❹ 橋を当たる前に石碑見つけました。
❺ 橋を渡る前に柳沢文庫へ。と思ったら休館日。ショック。蚊も多かった‥‥。
❻ 御城印購入ができませんでしたが、スタンプをいただくことができました。
➐ 柳沢文庫脇にあった掲示板(?)。
➑ 柳沢文庫から極楽橋を見ています。
➒ さてさて、橋を渡り始めていますね。渡りながら右手を見ています。
➓ 渡りながら右前見てます。
⓫ 渡りながら左手を見ています。
⓬ ➒と同じアングルで手摺が写っていないバージョンです。
⓭ 渡りながら振り返っています。
⓮ 渡り切って見える風景です。
⓯ 渡り切って振り返っています。白山門櫓の土台が両脇にありますね。
⓰ 渡りながら振り返っています。
本丸、天守台跡、天守台跡からの眺望
極楽橋を渡り、本丸に入り散歩しました。本丸は歩きやすいようにきれいに整備されていました。天守台に登ってから見渡す景色は、馴染みのない土地なのでとても新鮮でした。奈良県の勝手なイメージで、寺々がひしめき合っていて、天守台からの展望は、寺だらけ…。なんてことはなく普通の街でした(笑)。
➊ さて本丸に入りました。ぐるりと散歩します。
➋ 説明看板。「郡山城の歴史」「天守台の構造」「天守台の調査」について書かれていました。
❸ 道に埋め込まれた説明看板。
❹ 埋門跡の石碑。ここにあったのでしょうか。
❺ 内堀。水は少なかったです。
❻ 天守台へ登ります。
➐ 登ります。
➑ 石垣が目の前にあり、ワクワクします。
➒ 登りやすく整備していただいているので、助かります。
➓ 登りながら上を見上げています。
⓫ 石垣近いです。
⓬ 天守台に沿って折れ曲がりながら上を目指します。
⓭ 角が甘い(笑)
⓮ 天守台手前まできました。
⓯ 到着です!
⓰ 天守台は2階建てになっていました。
⓱ 土地勘が全くない地ですので、看板と見比べながら景色を見ています。
⓲ 読み方も怪しい地名が散見されます。
⓳ 本当にありがたい看板です。
⓴ 風景です。
㉑ 東と思って撮影しています。
㉒ 西と思って撮影しています。
㉓ 南と思って撮影しています。
㉔ 南東でしょうか…。
㉕ 東と思って撮影しています。
㉖ 東と思って撮影しています。
㉗ 同じく東でしょうか。
㉘ 北東だと思います。
㉙ ゴメンなさい、ちょっと不明です。
㉚ 西側をとっています。
㉛ 看板を見ながら、法隆寺方向を撮影してみました。法隆寺は見えていません。
㉜ 松尾山かと‥‥。
㉝ 天守台にある看板。
㉞ 発掘現場の感じが生々しく感じられる展示物です。
㉟ 天守台から真下を見下ろしています。
㊱ 見下ろしています。内堀見えてます。
㊲ 見下ろしています。
㊳ 見下ろしています。
㊴ 見下ろしています。
天守台から降りて、竹林門跡を目指します
郡山城の石垣。近世を通じて構築され・整備されたため各部分で異なる石材種、積み方が混在している石垣面が多く存在しているそうです。確かに歩いてみると、石垣面がいろいろな表情をしているような…気がします。また郡山城の石垣の特徴として転用石材が多いということ。本来石垣を作ることが目的とされていない石材を構築部材として転用したもので、「逆さ地蔵」が有名。有名にもかかわらず、今回の訪問で毎日郡山城跡を散歩している方に出会わなければ、私はこの「逆さ地蔵」をスルーするところでした。どこにあるか見つけられずにいた私に声をかけてくれ存在場所を教えてくださった方がいました。感謝感謝です。
➊ 天守台から下ります。
➋ 降りてきた先に説明看板。
❸ 「さかさ地蔵」どの石を指すのか、わかりませんでした。
❹ これです(笑)写真ではわかりづらいですね。
❺ 天守台周りの石垣です。
❻ 天守台周り。
➐ 天守台周り。
❽ 天守台周り。個人的には写真右側に見えている面の積み方が好きです。
➒ 天守台周り。
➓ 天守台周り。
⓫ 天守台周り。
⓬ 郡山城跡の石碑。右建物はトイレ。
⓭ 竹林門。
⓮ 竹林門付近にある案内看板。
⓯ 竹林門付近にある案内看板。
内堀の南面、東面を歩いて梅林門に戻りました
❶ 本丸から外へでます。
❷ 雑草の向こうに堀があります。
➌ 案内看板。
❹ 案内看板。
❺ 鳥居の脇にある石碑。
❻ 鳥居くぐると竹林門です。
➐ 鳥居から東へ少し行くとある石碑。
➑ さらに少し東へ行くと「表門跡」の石碑。
➒ 内堀です。
➓ 内堀です。
⓫ 案内看板あります。
⓬ 城下町全体像の案内図看板もありました。
⓭ 内堀です。
⓮ 内堀です。
⓯ 内堀です。
⓰ 内堀です。
⓱ 一本道の奥に梅林門があります。
⓲ ぐるりと歩いてきて追手向櫓が見えてきました。
⓳ 内堀を挟んで櫓を見ています。
⓴ 駐車場まで戻ってきました。
㉑ 出発時には気づかなかった看板。