龍岡城散歩

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ざっくり変遷

 「五稜郭」といえば?と聞かれると、多くの人が北海道函館市をイメージするのではないでしょうか。私もその一人でここ龍岡城を訪れる前までは、龍岡城=五稜郭という図式は全くあたまにありませんでした。そして1800年以降に築城されたお城が続百名城に選出されていたということも知りませんでした。
 
 龍岡藩の藩主、松平乗謨(まつだいら のりかた)は、外国からの脅威に備えるため、日本の城郭に西洋の築城技術を取り入れることを決意しました。当時、日本は鎖国が終わり、諸外国の軍事力が明らかになりつつありました。松平乗謨は、最新の軍事技術である稜堡(りょうほ)式の城郭、つまり星形の要塞に、新しい時代への希望と、藩を守るという強い思いを託しました。
 1863年、いよいよ龍岡城の築城が始まりました。西洋の城をモデルにするため、フランスの軍人たちが作成した築城図を参考にしながら、工事は急ピッチで進められました。しかし、867年に城がほぼ完成した矢先、翌年には明治維新が起こり、時代は大きく変わります。龍岡城は、戊辰戦争の戦火を交えることなく、新政府軍に明け渡されました。そして、まもなく廃城となり、多くの建物は取り壊されてしまいました。
 もし数年早く完成していたら、もし時代が違っていたら・・・。龍岡城の役割はどうなっていたのでしょうか。完成を目前にして、廃城へと突き進むことになった龍岡城。城跡だけでも、存続して欲しいものですね。

 1863年 龍岡藩主・松平乗謨が築城を開始。西洋の築城技術である稜堡式を採用
 1867年 城の本体がほぼ完成
 1868年 戊辰戦争が勃発。龍岡城は戦火を交えることなく、新政府軍に引き渡される
 1871年 廃藩置県により、龍岡藩が廃止。龍岡城も廃城
 1874年 城跡の大部分に田口小学校が設立
 
 五稜郭ということでしたが、平面的にみると五角形をしているのかは、やはりわかりません。ということで、「であいの館」でお聞きした「五稜郭展望台」へと車で向かうことにしたのですが・・・。雪解けすぐということもあり、山頂へと続く道に残雪があり、そして一部雪が解けてぬかるんでいたりで道的にとても車で行くことができずに断念。山頂から龍岡城の五角形を見たかったのですが、残念でした。

五稜郭 であいの館

 スタンプ置き場で検索をしたところ、であいの館がヒットしましたので、車のナビをこちらにセットし初めに向かうことしました。
 早く着きすぎたので開館するまで駐車場で待たせてもらい、開館時間を待って中に入ることに。いろいろと情報をインプットし、いざ龍岡城へ。

➊ 館全体像

 入口に向かって進みます

❻ 北斗の拳?

❽ 館から城のほうを見ます。

➒ スタンプ設置置き場。

馬出門

城内へ

 大手門から中へ。田口神社、御台所、田口小学校と見て回り外側を散策させていただきました。
 

史跡竜岡城址

大手門跡へ

⓫ 御台所が見えてきました

黄色い絨毯

㉓ 御台所

㉔ 御台所を下から見上げます

堀が出現、そして帰路へ

 大手門跡から反時計回りに歩きましたので、途中から御堀が出現。堀の水がきれいだったのだ印象的でした。

 季節季節でいろいろな顔を見せてくれています。龍岡城の YouTube 私も見せてもらっています。
 龍岡城五稜郭の四季

ん?堀出現。

通用門

通用門

大手門跡まで帰ってきました


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