高島城散歩

もくじ

ざっくり変遷

 「諏訪の浮城」という別名を持つ高島城は、戦国時代の終わり頃、豊臣秀吉の家臣だった日根野織部正高吉によって築かれました。築城が始まったのは文禄元年(1592年)です。高島城は、当時諏訪湖に突き出た小さな島「桑原浜浮島」を埋め立てて建てられた、とても珍しいお城でした。
 築城後、関ヶ原の戦いを経て、城主は日根野氏から諏訪氏へと代わりました。諏訪氏は、この地を代々治めてきた名門一族です。彼らは高島城を拠点に、約270年もの長きにわたり、高島藩の政治を司りました。江戸時代に入ると、高島城は徳川家康の六男である松平忠輝や、赤穂浪士の討ち入りで有名な吉良上野介の養子、吉良義周が幽閉される場所としても使われました。城の南の丸には、彼らのための特別な施設が設けられていたのです。
 明治時代になると、廃藩置県により高島城は役目を終え、明治8年(1875年)には天守閣も取り壊されてしまいます。かつて美しい姿を誇った城は、その姿を消してしまいました。しかし、地元の諏訪の人々は「浮城」への愛着を失いませんでした。そして、市民の熱い想いと協力によって、昭和45年(1970年)に天守閣が復元されたのです。


 1592年 豊臣秀吉の家臣、日根野高吉が高島城の築城を開始
 1598年 高島城がほぼ完成し、「諏訪の浮城」として知られるようになる
 1601年 諏訪頼水が初代高島藩主となり、諏訪氏の居城となる
 1626年 徳川家康の六男、松平忠輝が城内に幽閉される
 1703年 吉良義周が城内に幽閉される
 1871年 廃藩置県により高島城は廃城
 1875年 天守閣が取り壊される
 1970年 市民の熱意により天守閣が復興
 
 
 かつては「浮島」と呼ばれ諏訪湖の水が城の際まで迫っていたそうですが、今は諏訪湖から少し離れた場所にありました。本丸跡は、高島公園として整備されていて、木々も茂り暑い日でしたが木陰で涼をとることができました。諏訪湖には何度か訪れたことがあったのですが、高島城は今回が初めてとなりました。諏訪湖畔の温泉目当てに伺うことばかりで次回からは、諏訪湖に行く際には立ち寄ろうと思います。

車を停めて、天守閣へ

 駐車場が天守閣直下にあるため、車を停めると見上げるようなかたちで高島城をみることができます。半地下道のような通路を進むとすぐに天守閣が見えます。
 天守閣の最上階からは諏訪湖も見ることができ、眺めは最高です。築城当初は、眼下に諏訪湖が迫ってきていたようですが、とても眺めが良かったことでしょう。

➊ 駐車場から撮影

この階段を上がれば天守閣

入城します

最上階からの眺め

最上階からの眺め

最上階からの眺め

これは模型

最上階からの眺め

最上階からの眺め

最上階からの眺め

最上階からの眺め

最上階からの眺め

模型

模型

最上階からの眺め

高島公園をぶらり

 天守閣を出て、高島公園をぐるりと散歩しました。桜や藤の名所としても有名だとのことで、季節を合わせてきてみたいと思います。
 

➐ 桜門?冠木門?

桜門?冠木門?

冠木橋

冠木橋

㉒ 角櫓

㉓ 多門跡

㉔ 

三の丸御殿裏門

㉚ 三の丸御殿裏門

三の丸御殿裏門

心字池

㊶ 小天守

小天守

帰路につきます

最後に駐車場から

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