高岡城散歩

もくじ

ざっくり変遷

 高岡城の物語は、一人の偉大な武将から始まります。その名は前田利長(まえだ としなが)。かの有名な「加賀百万石」の藩祖、前田利家の長男であり、徳川家康とも渡り合った実力者です。
 関ヶ原の戦いの後、利長は加賀・越中・能登(現在の石川県と富山県)の三国を治める巨大大名となりました。しかし、その大きすぎる力は、江戸幕府を率いる徳川家康にとって、常に警戒の対象でした。利長は、母である「芳春院(ほうしゅんいん)」を人質として江戸に送り、ようやく徳川の信頼を得るという、きわどい駆け引きを行っていました。
 1605年、利長は家督を弟の利常に譲り、隠居することを決めます。しかし、ただ静かに余生を過ごすような人物ではありませんでした。隠居後の拠点として彼が選んだのが、現在の富山県にあった富山城です。ところが1609年、富山城が火災で焼失するという悲劇に見舞われます。この災難を、利長はチャンスと捉えました。「ならば、新しい城を築こう。これからの加賀藩の拠点となる、壮大な城を」。こうして、関野という場所に新しい城の建設が開始されます。これが高岡城の始まりです。
 城の設計(縄張)を任されたのは、なんとキリシタン大名として有名な高山右近(たかやま うこん)だったと伝えられています。右近の設計は、当時最先端の技術を取り入れた、非常に巧みなものでした。城の周りを幾重にも水堀で囲み、本丸、二の丸、三の丸などを巧みに配置。まるで水に浮かぶ要塞のような、美しくも堅固な城を計画したのです。利長は、この城を単なる隠居城ではなく、政治と経済の中心地、つまり「城下町」ごと創り上げようとしました。
 しかし、運命は皮肉なものです。1614年、城が完成した年に、築城主である利長が病でこの世を去ってしまいます。彼の夢の城は、主のいない城となってしまいました。そして翌年の1615年、江戸幕府から「一国一城令(いっこくいちじょうれい)」が発令されます。これは、「一つの国(藩)に、お城は一つだけにしなさい」という命令でした。加賀藩のメインの城は金沢城と定められたため、完成したばかりの高岡城は、なんと築城からわずか数年で廃城となることが決まってしまったのです。
 こうして、利長の壮大な夢は、天守閣が建てられることもなく、幕府の命令によって幕を閉じました。建物は取り壊されましたが、高山右近が設計した見事な石垣と水堀は、奇跡的にほぼ完全な形で残されました。なぜなら、前田家は「城の倉庫として使う」という名目で、この場所を守り続けたからです。城としての役目は終えても、この土地に込めた利長の想いを、後の人々が大切に受け継いできた証と言えるでしょう。


 1605年 前田利長が隠居し、富山城に入る
 1609年 富山城が焼失。利長は高岡城の築城を開始する。設計は高山右近と伝わる
 1614年 利長が高岡城で死去
 1615年 幕府の「一国一城令」により、高岡城が廃城となる
 1870年 城跡が民間に払い下げられる
 1875年 民衆の願いにより、高岡古城公園として整備・公開される
 2015年 「高岡城跡」として国の史跡に指定される
 
 
 まずは、公園内にある高岡市立博物館を目指しました。駐車場に車を停め博物館内でお勉強。そして公園内を散歩しました。天守はありませんが、堀の立派さには目を見張るものがありました。緑に覆われて堀が隅々まで見られるスポットがなかなありませんでしたが、迫力満点でした。公園中央に歩を進めると、芝生が一面に敷き詰められた場所が出現。そこには、たくさんの人が休日を楽しんでいました。憩いの場所なんですね。

高岡市立博物館へ

 城内散歩の前に、まずは高岡城の歴史についてお勉強です。読ませるパネルが多く、「字」が好きな人には超おススメの博物館です。
 今回の散歩はここを始点としてぶらっと歩いてきました。とにかく暑い日でしたので、公園内をくまなくとはいきませんでしたが、看板にあった「ジョギングコース」に沿ってぐるっとまわってきました。

高岡市立博物館

❽ 馬出門土橋を渡りながら正面

➒ 馬出門土橋を渡りながら右側

馬出門土橋を渡りながら左側

馬出門

馬出門

馬出門

馬出門枡形

馬出門枡形

馬出門枡形

利長くん!

三の丸茶屋へ

 市立博物館を出て、公園内の散策開始です。まずは内堀沿いを歩いて三の丸茶屋を目指しました。木々が覆い茂り内堀の全容が見づらかったですね。
 歩いて数分のところではあったのですが、とても暑い日でしたので、茶屋での休憩が長くなってしまいました。
 

内堀

内堀

右手に動物園

見えてきました。

ジオラマ

内堀

㉒ 朝陽橋

㉓ 朝陽橋

㉔ 橋の上から

㉕ 橋の上から

㉙ 本丸広場へと向かいます

㉚ 

まずは児童公園がみえてきました

利長公、本丸広場、そして帰路へ

 利長公の銅像を見て、そのまま本丸広場へ。芝生がきれいに手入れされていました。雲は多かったのですが、空の青さとの対が、清涼感満載な感じでした。
 今回はうだる様な暑さの中、自分の体力の無さをシビアに判断して、中の島や、二の丸、本丸、駐春橋などを見ることなく帰路につきました。もう少し涼しいときに時間をかけてゆっくり歩きたいなあ。

利長公

利長公

利長公

本丸公園をあとにします

西内堀

⓭ 二の丸まで行かず…

博物館へと戻ります



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