ざっくり変遷
天守が残っていないお城です。というか、徳川家康の命令で天守は築かれていないのですね。天守台はあるのに…。築城は比較的新しく1609年。徳川家康が西日本の大名に備える拠点にするために築城を命じたそうです。縄張奉行に藤堂高虎、普請奉行に池田輝政があたり20人の西国大名を動員し突貫工事で1年足らずで完成させたようです。
見どころは大書院です。建物内も撮影して良いとのことでしたので、撮影させていただきました。偶然訪れたときに、結婚式も行われていて、印象に残る「大書院」となりました。
1609年 築城。
2000年 大書院再建。
家康の命令で多くの大名が築城に携わり、わずか6か月で完成させたとか。この頃の家康の命令は”絶対”だったのでしょうね。
車でアプローチ
車載ナビが、駐車場まで案内してくれました。細い道をナビに案内され、不安にさせられながら進むと目の前に堀が見えてきました。天守がありませんので、初見の「おおっ」と感はありませんでしたが、車を進ませながらナビが案内する駐車場に向かいました。
➊ 車の中から撮影しています。車で駐車場をめざしています。
➋ 東堀を北進しています。
❸ 車を走らせワクワクしている、という感じですね。
❹ 天気が怪しく、雨が降り出さないことを祈っていました。
❺ 早出をして伺いましたので、駐車場はすんなり確保。三の丸西駐車場土日祝料金400円でした。時間内停め放題です。
❻ 広い駐車場でしたのが…。帰るころには満車になっていて、空き待ちの渋滞がありました。
➐ 駐車した場所から堀を撮影。
➑ 駐車し車を降りてすぐに撮影した堀。
駐車場を出て大書院入口へ
車を降りてまずはトイレ(笑)。大書院へ向かいます。堀は車で渡ってしまているので、北廊下門、表門、中門、鉄門と進んでいきます。大手門と鉄門の間にある「枡形」は石垣に囲まれてなぜかちょっと緊張しました(?)。雨はやんでいたのですが、足元に雨が残っていて、しっとりとした散歩になりました。
➊ 車を降りて歩き出して一番初めに見た看板。「河原町妻入商家群」?
➋ 大書院の屋根が見えています。
❸ 城下町周遊マップ。ざっくりどこを散歩しようか俯瞰できました。
❹ 長距離ドライブでしたので。
❺ トイレを利用させていただきました。
❻ さてすっきりした後、大書院へ向かいます。
➐ 駐車料金の確認。こんな感じです。
➑ 案内看板。
➒ 立ち止まって、知識インプット。
➓ 映画のロケ地だったそうです。というか観たことある映画ですけど、観た時は篠山城と結びつかなかった…。
⓫ 大書院入場料案内。大人400円です。
⓬ この看板。パンフレットとして欲しかった。城のパーツパーツの名前の確認が一目でできるので‥‥。
⓭ 石碑。大きな石碑です。
⓮ 看板と石碑。
⓯ 北廊下門を通り進みます。道の手前両側にある背の低い柱のようなものに「北廊下門跡」というプレートが張り付けてあります。
⓰ 進みながら、右側を見ています。
⓱ 進みながら、左側を見ています。
⓲ この木。桜開花基準木だそうです。
⓳ 表門跡。
⓴ 表門右側を見ています。
㉑ 表門から中門に向かって進みます。
㉒ 野面積みでしょうか。
㉓ まさしくここで敵兵を迎え撃つのでしょうね。
㉔ 階段を登ってみたい衝動にかられますが、もちろん我慢です。
㉕ 右にカーブをするとその先に左カーブが見えます。
㉖ 中門跡の看板があり、左にカーブしていきます。
㉗ 鉄門がみえてきました。
㉘ 真正面に鉄門。その奥に大書院。
㉙ 鉄門をくぐりまして。
㉚ くぐった後に振り返って。
㉛ 鉄門くぐって見える風景。
㉜ 鉄門をくぐって見える風景。
㉝ 鉄門をくぐって見える風景。
いざ、大書院内部へ! ~前編~
ようやく大書院に到着しました。散歩へ出かけた日時、偶然にもまさに結婚式が行われようとしていた直前でした。邪魔にならないように、大書院内を見学させていただきました。まったく予想していなかったのですが、甲冑が多数展示されていて、かなりテンション上がりました。大書院は1609年築城とほぼ同じ時期に建築され、約260年間藩の公式行事を催すのに使用されてきたそうです。昭和19年1月6日の夜に火災で焼失。その後2000年3月に地元の多くの人の願いにより、復元再建されたそうです。
➊ さあ、入口から大書院に入っていきます。入口で下足を脱ぎます。
➋ 入ってすぐにショップ。御城印の購入と100名城のスタンプを押印。
❸ ジオラマありました。テンション上がります(笑)
❹ 別角度から。
❺ 平城ですが防御は固そうに見えます。
❻ 解説パネル。「移り変わる篠山藩主」
➐ 解説パネル。「篠山城とその城下町」
❽ 解説パネル。「大名と領地」
➒ 解説パネル。「大名と国替」
➓ 解説パネル。「青山家ゆかりの品」
⓫ 解説パネル。「城下町のにぎわい」
⓬ 解説パネル。大書院の変遷。
⓭ 篠山城ガイド。
⓮ 点字。篠山城も凹凸で展示。
⓯ スタンプ台。
⓰ 幸せのおすそ分けいただきました。
⓱ 西側広縁。引戸の外側に落縁。
⓲ おそらく虎之間。
⓳ 広縁、随所に説明パネルが用意されていました。
⓴ 右側に折れて北側に向かいます。
㉑ 北側に来たら広縁に…武者。
㉒ 説明パネル。
㉓ 手鞠之間には、甲冑、甲冑、甲冑…。
㉔ 先ほどの広縁の武者。カッコいい!
㉕ 手鞠之間の甲冑。普段は「甲冑着付け体験」をやっているようです。本日は中止の案内があり、残念。着たかった…。
㉖ 手鞠之間の甲冑。
㉗ 着付け体験は、大人1000円でできるようです。
㉘ 大書院復元工事の時に作製した構造模型。プラモデルで発売されないかなあ。
㉙ 篠山城の鬼瓦。
㉚ 手鞠之間の隣、源氏之間。㉘㉙の展示物が置いてあります。
㉛ 展示パネル。
㉜ 北側を東の端まで歩いて振りかえってます。武者の後ろ姿が見えます。
㉝ 「草花小猛図屏風」江戸時代後期、狩野養川によって描かれたそうです。
㉞ 源氏之間の隣の葡萄之間。㉝が中央に飾られています。
㉟ 葡萄之間。
㊱ 説明パネル。
㊲ 城中の道場にかけていた梵鐘。どんな音を奏でていたのでしょうか。
㊳ 梵鐘。こんな感じで展示されていました。
㊴ 説明パネル。
㊵ 今まで多くの映画・ドラマのロケ地として使用されてきたんですね。
㊶ 広縁。奥に梵鐘が見えています。
㊷ 板襖の説明。
㊸ 東面に来ています。次之間。フラッシュ禁止とありますので、気をつけて撮影しています。
㊹ 襖がすごい。
㊺ 左側に帳台構が見えます。
㊻ 上段之間。大書院の中で最も格式の高い部屋という位置付け。
㊼ 大床の松の絵。
㊽ 上段之間の天井です。
㊾ 障壁画について説明ありました。
㊿ この裏が付書院だと思います。
51. ここから右に折れて南側へ。
52.説明パネル。
53.説明パネル。
54.説明パネル。
いざ、大書院内部へ! ~後編~
大書院に数多くの甲冑が!ワクワクが止まりません。
➊ 孔雀之間の隣の細長い部屋。
➋ 孔雀の間に飾られた甲冑は特殊な厚紙と塩ビで作った本物そっくりな甲冑!
❸ 伊達政宗の甲冑。
❹ 直江兼続の甲冑。
❺ 黒田長政の甲冑。
❻ 長曾我部家。
➐ ?
➑ 明智光秀。
➒ これも明智光秀。
➓ 井伊家。
⓫ 福島正則。
⓬ 織田信長。
⓭ 撮影OKですの看板。
⓮ 丹波市在中の時本昭男さんの手作り甲冑の数々。大人用12領、子ども用3領の計15領を寄贈されたそうです。手作り甲冑製作者だそうです。間近でこれだけの甲冑を見られるチャンスはそうそうありませんので、ワクワクしました。
⓯ 甲冑を飾るのは、畳の部屋が似合いますね。
⓰ 説明パネルです。
⓱ 説明パネルです。
⓲ 広縁にも甲冑が。
⓳ 甲冑あります。こちらにも。
⓴ 明智光秀です。
㉑ こちらは八上城の説明パネル。
㉒ 説明パネル。
㉓ 八上城のジオラマ。
㉔ いかにも山城というのがわかるジオラマ。きれいに制作されています。
㉕ 説明パネル。
㉖ 篠山城でできる「キャッスルウエデイング」の幸せそうな写真の数々です。
㉗ 「大書院の復元」の説明。
㉘ 説明。
㉙ 奥に見えているのが、虎之間です。
㉚ 大書院を拝見、大満足。次へと向かいます。
大書院の北側を抜けて、二の丸へ
大書院を堪能したあと、大書院の南側にある二の丸へ向かいました。何もないと言えば何もない広場のようになっていましたが、足元をみるとパネルが埋め込まれていました。かつてここには、このような配置で部屋があったことがわかるような地図のような感じです。遠目に見ると法則性のない模様が地面の上に施されているなあ、程度にしか見えなかったのですが、「そういうことか」と近づいて理解しました。
➊ 大書院を出て西側に沿って南側へ回っていきます。
➋ 名残惜しく振り返ったところ。奥に鉄門が見えていますね。
❸ 南側に抜けるとパッと視界が開けました。
❹ 二の丸の西側に沿って散歩。向かって右側が内堀になってます。
❺ 内堀。
❻ 内堀。
➐ 内堀をまたいで駐車場が見えています。
➑ 北側を撮影。右側に見えているのが大書院です。
➒ 大書院。二の丸側から見ています。
➓ 歩みを進めます。
⓫ 立派な大木。
⓬ 埋門方面を撮影。
⓭ 南西のかど。
⓮ 南門付近を上からの撮影。
⓯ たぶん南側(笑)の景色です。
⓰ 南の端から大書院を遠目に見ています。
⓱ 三の丸南広場でしょうか…。
⓲ 井戸。
⓳ 覗き込んでいます。
⓴ 大書院。
㉑ 二の丸間取り図(右)。
㉒ 大書院。
㉓ 大書院。
㉔ 二の丸間取り図通りの配置が地面に施されています。
㉕ 東と思って撮影しています。
㉖ 東と思って撮影しています。
㉗ 同じく東でしょうか。
㉘ 北東だと思います。
㉙ ゴメンなさい、ちょっと不明です。
㉚ 西側をとっています。
㉛ 表御居間。
㉜ 年寄詰所。
㉝ 中之御居間。
㉞ 風呂。こんな感じで足元に埋め込まれています。
㉟ 風呂。
㊱ 御休憩之間。
㊲ 小賄詰所。
㊳ 奥御取締。
㊴ 御台所。
㊲ 奥に本丸天守台跡が見えます。
㊳ 御次之間。
㊴ 三之御間。
㊲ 二之御間。
㊳ 御上段。
㊴ 東から西を見ています。
㊲ 左側が本丸天守台跡です。
㊳ 二の丸発掘調査説明看板。
㊴ 大木、奥に井戸見えています。
埋門から城外へ出ます
郡山城の石垣。近世を通じて構築され・整備されたため各部分で異なる石材種、積み方が混在している石垣面が多く存在しているそうです。確かに歩いてみると、石垣面がいろいろな表情をしているような…気がします。また郡山城の石垣の特徴として転用石材が多いということ。本来石垣を作ることが目的とされていない石材を構築部材として転用したもので、「逆さ地蔵」が有名。有名にもかかわらず、今回の訪問で毎日郡山城跡を散歩している方に出会わなければ、私はこの「逆さ地蔵」をスルーするところでした。どこにあるか見つけられずにいた私に声をかけてくれ存在場所を教えてくださった方がいました。感謝感謝です。
➊ なかなか急な階段です。
➋ 石垣に囲まれていますので、迫力あります。
❸ 急さ加減がわかりづらいですね。
❹ 階段。
❺ 階段。
❻ 門。
➐ 門。
❽ 「三左之内」の刻印。
➒ 「三左之内」の刻印は、普請総奉行を務めた、池田三左衛門輝政の名を記したものだそうです。篠山築城時に池田輝政も駆り出されていたのですね。
➓ 埋門の石垣。
⓫ 埋門を出て右側(西側)に下っていきます。
⓬ 振り返って、埋門を撮影。
⓭ 降りていきます。
⓮ 名残惜しく振り返っています。
⓯ 開門時間が記されていました。