興国寺城散歩

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ざっくり変遷

 有名城のような、売店や飲食店が軒を連ね観光客が往来しているという華やかさ・賑わいはなく、私が訪れた際にも3,4組の登城者の方々がいるくらいでした。その分、ゆっくり・ゆったりと散歩することができました。
 ここに来る前に御城印を購入するために、お茶屋さんに立ち寄ったのですがそこの店員さん(女主人さん?)に、興国寺城の見どころをお聞きしたので、興国寺城の散歩も味わい深く歩くことができました。今後いろいろと整備されていくのではないのかな、と思いますのでまた訪れてみたいと思います。

 1487年 伊勢新九郎盛時(北条早雲)、今川氏親から興国寺城を与えられる。
 1549年 今川義元、興国寺を真如寺に移転させ跡地に城を普請。
 1560年 今川義元、桶狭間の戦いで戦死。
 1568年 武田信玄、駿河侵攻。北条氏政も進出し、興国寺城を占領。
 1569年 北条氏政、垪和氏続を城主に任命。
 1572年 武田と北条が和睦し、興国寺城を武田が受け取る。
 1579年 武田勝頼が三枚橋城を築城。北条氏と武田氏の同盟が破棄に。
 1580年 穴山梅雪、天神ヶ尾砦の門を移築。
 1582年 織田・徳川連合軍が武田氏を滅ぼす。松平清宗が城主に。
 1584年 小牧長久手の戦いで松平清宗、興国寺城を守り抜く。
 1589年 大地震で塀と二階門が破損。
 1590年 北条氏滅亡。豊臣方の重臣、河毛重次が城主に。
 1600年 関ヶ原の戦いで東軍勝利。徳川氏方の重臣、天野康景が城主に(1601年)。
 1607年 家臣の領民殺傷事件をきっかけに興国寺藩取り潰し、興国寺城は廃城に。
 1995年 国の史跡に指定。 
 
 戦国時代、今川氏、武田氏、北条氏による激しい争奪戦が繰り広げられた土地柄もあり、支配者もそれぞれの思惑により頻繁に変わっていたようですね。その三氏も織田・豊臣・徳川に滅亡されると、関ヶ原の戦い以後徳川方が城主に。そしてそのあと長続きすることなく、興国寺城は廃城。なにか寂寥感を感じさせられますね。

興国寺城散歩

建物が復元されたりなどはない城跡です。かつてを想像しながらの散歩。緑が生えてきれいでした。

➊ 三ノ丸が駐車場になっていました。二ノ丸、本丸に向けて歩いていきます。

➋ 三ノ丸。

❸ 三ノ丸。

❹ 区切り的には二ノ丸でしょうか。

❺ 穂見神社が見えてきました。

神社に到着です。スタンプはここです。

➐ 興国寺城跡の説明看板。

こちらも説明看板。

➒ 坂を上りました。下に神社が見えています。

天守台跡。

大空堀と思われる場所を撮影。間違っていなければ良いですが。

広場から門を見ています。門の裏側と表現すればよいのかなと。

天守台跡。別角度から。

戻ります。下に神社が見えます。

下に見えるのが本丸です。

本丸を上から見ています。

北曲輪、清水曲輪まで歩く余裕がなく今回は天守台まで行って帰ってきました。



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